HISTORICAL PERSON · 1318年没

アルブレヒト2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。兄弟間の遺領争いに7年かけて勝利し、ゲッティンゲンなど広い領域を支配した。

生涯
1318年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アルブレヒト2世は、1268年ごろに生まれたブラウンシュヴァイク=リューネブルク公で、ヴェルフ家の一員である。「肥満公」と呼ばれた。父はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公アルブレヒト1世(長身公)、母はアデライデ・フォン・モンフェラートで、その次男だった。1279年に父が亡くなったときはまだ少年で、母と、叔父のフェルデン司教コンラートが、アルブレヒトと兄ハインリヒ1世、弟ヴィルヘルム1世の後見人となった。まもなく兄ハインリヒ1世が親政を始めた。

1284年1月10日、アルブレヒトはメクレンブルク=ヴェルレ領主ハインリヒ1世の娘リクサと結婚した。リクサの母はスウェーデンのビルイェル・ヤールの娘リキッサで、リクサはその孫にあたる。1286年、三人の兄弟は父の領地を分け、アルブレヒトはゲッティンゲン、ミュンデン、ノルトハイム、カレンベルク、ハノーファーなどの一帯を受け継いだ。ゲッティンゲンの城を居城としたため、ゲッティンゲン侯領と呼ばれる。

1292年に弟ヴィルヘルム1世が子のないまま亡くなると、その遺領であるブラウンシュヴァイク周辺とヴォルフェンビュッテルをめぐり、アルブレヒトは兄ハインリヒ1世と争った。争いは7年続いたともいわれ、ブラウンシュヴァイクの支援を得たアルブレヒトが勝った。ハインリヒはグルーベンハーゲン侯領を支配するにとどまった。

アルブレヒトとリクサの間には、4人の娘と9人の息子が生まれた。長女アーデルハイトは下ヘッセン方伯ヨハンに嫁いだ。長男オットーはゲッティンゲン侯とヴォルフェンビュッテル侯を継ぎ、父と同名のアルブレヒトはハルバーシュタット司教、ハインリヒ3世はヒルデスハイム司教となった。ヴィルヘルムとヨハンはドイツ騎士団の騎士になり、マグヌス1世はヴォルフェンビュッテル侯、エルンスト1世はゲッティンゲン侯となった。リクサは1317年11月26日に亡くなり、アルブレヒト自身も翌1318年9月22日に亡くなって、ブラウンシュヴァイク大聖堂に葬られた。

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