伝記
ヴェルナー・ゾンバルトは、1863年1月19日、ドイツのハルツ地方エルムスレーベンに、有力な農場主で帝国議会議員でもあったアントン・ゾンバルトの息子として生まれた経済学者・社会学者である。ギムナジウムを経てベルリン大学に進み、グスタフ・フォン・シュモラーとアドルフ・ヴァーグナーに師事した。卒業後はイタリアへ遊学し、1886年にイタリアの農村問題を扱った博士論文「ローマの平原」で学位を得た。1888年から1890年までブレーメン商工会議所の顧問を務め、マックス・ヴェーバーからハイデルベルク大学に招かれたが当局に認められず、1890年から1906年までブレスラウ大学の助教授を務めた。その間の1902年に、代表作『近代資本主義』を完成させた。
当初はマルクス主義者を自称し、エンゲルスからは、マルクスの著作を理解している数少ないドイツの学者と高く評価されたという。1906年にベルリン高等商業学校の教授となり、1911年に『ユダヤ人と経済生活』を、1913年に『恋愛と資本主義』『戦争と資本主義』『ブルジョワ』を刊行した。『ブルジョワ』は近代経済人の精神史を扱う書である。『ユダヤ人と経済生活』では、国際的なネットワークを持つユダヤ人が地域の伝統よりも経済合理性を重んじ、近代資本主義の重要な担い手になったと論じ、近代の合理主義を進めたのはヴェーバーのいうプロテスタンティズムではなくユダヤ教だと主張した。この本は友人ヴェーバーから批判され、のちにヒトラーが資料として用いたとされる。翌1912年の小冊子『ユダヤ人の未来』では、ユダヤ人がドイツの芸術や新聞を牛耳っているとし、その優位を放置すれば「人類最大の問題」になると主張した。1915年の『商人と英雄』では、英雄の国ドイツと商人国家イギリスを対置し、第一次世界大戦を、営利的なエートスに対するドイツ的理想主義の戦いとして称賛した。ルヨ・ブレンターノは論文でユダヤ人はむしろ農耕民族だったと反論し、資本主義の精神もユダヤ教とは別の起源から発展したと唱えた。
1917年にはヴァーグナーの後任としてベルリン大学の教授となった。1904年以降はヴェーバーとともに『社会科学および社会政策雑誌』の編集を担い、経済社会の全体を捉えるために〈経済体制〉の概念を示した。主著に『近代資本主義』と『高度資本主義』がある。1929年には、蔵書のうち社会主義関係の文献など11,574冊を大阪商科大学(現在の大阪市立大学)に売却し、同大学で「ゾンバルト文庫」として収蔵されている。ナチス政権の成立後、1931年にベルリン商科大学へ戻った。1934年の『ドイツ的社会主義』で、ナショナリズムと社会主義が融合したドイツ的社会主義を唱え、それは資本主義とユダヤ精神との闘争だと述べて、ナチスに共鳴した。同年の国民投票では、ハイデッガーらと連名で、ヒトラー支持の学者声明を出した。1936年に自主解散するまで社会政策学会の会長を務め、1938年に『人間について』を発表した。1941年5月18日、第二次世界大戦下のベルリンで死去した。社会政策学会は戦後の1948年に復活している。
同じ年に亡くなった人物
- カール・ブルーンス (1941年没)
- ジャック・キュリー (1941年没)
- マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサ (1941年没)
- フランツ・ギュルトナー (1941年没)
- パルヴィーン・エーテサーミー (1941年没)
同じ地域に関係する人物
- アイルハルト・ミッチェルリヒ (1863年没)
- オットー・フォン・ギールケ (1921年没)
- ユリウス・レーバー (1945年没)
- ファニー・メンデルスゾーン (1847年没)
- カレル・ハリーシュ (1909年没)