HISTORICAL PERSON · 1940年没

ミハイル・ブルガーコフ

ロシアの劇作家、小説家。代表作は『巨匠とマルガリータ』。作品が体制批判とみなされ、長く当局に弾圧された。

生涯
1940年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ)
出生地
ウクライナ(キーウ)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

ミハイール・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフは、1891年5月15日(ロシア暦5月3日)にロシア帝国支配下のウクライナの首都キエフで生まれた、ロシアの劇作家、小説家である。『巨匠とマルガリータ』が最もよく知られている。ロシア人の両親のもとの長男で、父アファナーシイは司祭の子で、キエフの神学アカデミーの宗教史の講師を務め、母ヴァルヴァーラは大司祭の娘であり、結婚前は教師をしていた。ほかに四人の妹と二人の弟が生まれた。1901年にキエフのギムナジウムに入り、同じ年に一家はブチャに別荘を建て、夏は家族でアマチュアの芝居を催した。家族は音楽を愛し、ミハイールはピアノを習った。1907年に父が高血圧の合併症による腎不全で亡くなっている。彼自身も、のちに同じ腎硬化症で世を去った。名の「ミハイール」は、キエフの守護聖人である聖ミハイール(ミカエル)に由来するとされ、生まれ故郷のキエフを深く愛したことで知られる。

1908年の夏に最初の妻となるタチヤーナ・ラッパと知り合った。中等教育を終えてキエフ大学医学部に入り、1916年に医師の資格を得た。このころ政治的には君主制支持と自由主義の立場で、演劇とオペラに情熱を持ち、キエフの歌劇場や劇場に通い詰めた。1913年にタチヤーナと結婚している。第一次世界大戦が始まると、赤十字の志願の医師として働き、スモレンスク県の村の病院で、過重な責任を負う若い医師として任務に励んだ。この経験は、のちの連作短編の着想になったという。一方で、ジフテリア血清によるアレルギーを和らげたモルヒネ注射がきっかけで、モルヒネ依存になった。その後、ヴャジマの病院に移り、いくつかの作品を書き始めている。

ロシア内戦期には、キエフがウクライナ人民共和国、赤軍、ウクライナ国、ドイツ帝国、白軍に次々と支配を受けるなか、ブルガーコフは友人らとともに多くの軍隊勤務を命じられた。最後には白軍の将軍デニーキンの南ロシア軍に従軍し、チェチェンやヴラジカフカースへ遠征した。戦後、1920年から医師の職を離れ、ジャーナリズムと文学に専念するようになった。雑誌『ナカヌーニェ』に載せた『悪魔物語』で高い評価を受けて一躍文壇に名を上げ、その後、SF的な中編小説『運命の卵』『犬の心臓』を著した。しかし科学に懐疑的な姿勢は、「科学の発展による明るい未来」を標榜する共産主義政権に睨まれた。内戦の体験をもとにした自伝的な長編『白衛軍』も「白衛軍への挽歌」として厳しく批判され、その後に書かれた作品を含め、多くが発禁となった。

最後の作品となった『巨匠とマルガリータ』は、キリスト時代のエルサレムと、現代のモスクワを舞台にした長編である。「巨匠」とその愛人マルガリータ、そして「悪魔」らが縦横無尽に活躍するが、長らく公には封印された。『白衛軍』を戯曲化した『トゥルビン家の日々』や『モリエール』などの戯曲、ゴーゴリの『死せる魂』のパロディーである『チチコフの遍歴』、中編『赤紫島』などもある。作風はゴーゴリと比較される。1940年3月10日、腎硬化症により48歳で死去した。解禁後は広く読者の注目を集め、数多くの舞台でも演じられている。

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