HISTORICAL PERSON · 紀元前1200没

マルドゥク・カビト・アヘシュ

紀元前12世紀のバビロン第2イシン王朝の創始者。エラムによるカッシート朝の打倒後に即位したとみられ、在位は約18年とされる。

生涯
紀元前1200没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

マルドゥク・カビト・アッヘシュは、イシン第2王朝の創始者である。名は「マルドゥクは兄弟たちのなかで最も重要な者」を意味する。この王朝は前1022年ごろまで、あるいは前1025年ごろまでバビロンを支配した。在位は前1153年から前1136年とされるほか、前1157年ごろから前1140年ごろ、前1155年から前1140年、前1154年からとする説もあり、一定しない。バビロニア王名表Cは彼の治世を18年としており、名と在位年数は、この王名表からもっとも明確に確かめられる。

彼は、エラム人がカッシート王朝を倒した直後に王位に就いたと考えられている。王朝名の「バラ・パ・シェ」は、「茎」を意味する語イシンヌをパ・シェと書くことにかけた言葉遊びであり、実際のイシンの町に触れていると思われる唯一の手がかりである。ただし王朝の統治の拠点は別の場所にあったとされる。また、同じ名前を持つ中期アッシリアの書記がいるが、これは別人である。この書記は、およそ30年後にティグラト・ピレセル1世の図書館にあった2つの文書を著した。

同時代のエラム王は、おそらくクティル・ナフンテ2世の弟で後継者のシルハク・インシュシナク1世だった。マルドゥク・カビト・アッヘシュは一連の遠征によって、エラムの大軍を追い払ったようだとされる。前の王朝の滅亡とその後の在地の支配の再開との間にエラムの空位期間があったのか、あるいは前のカッシート王朝と重なる時期があったのかは、確定していない。バビロニアの伝承では、最後のカッシート王の次に途切れなく彼が続くことになっているが、これはありそうにないとされる。

エラム勢を退けたのち、彼は関心をアッシリアと北方に向け、エカラトゥムの町を占領した。当時のアッシリア王はアッシュール・ダン1世だったとされる。王朝は初めイシンから統治したが、しだいにバビロニアの王権を再建し、のちにバビロンの町に定着することに成功したという。

この王朝はマルドゥク信仰が高まった時期にあたる。王朝の11人の王のうち6人が自分の名にマルドゥクの名を含めており、マルドゥクは神々の最高神として定着していった。彼の跡は息子のイッティ・マルドゥク・バラトゥが継いだ。結婚した相手の女性の名は分かっていない。

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