HISTORICAL PERSON · 1937年没

ニルス・グスタフ・ダレーン

スウェーデンのエンジニア・企業家。AGA社でダレーン式灯台やAGAクッカーを発明し、1912年に灯台用ガス貯蔵器の自動調節機の発明でノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
1937年没
死亡地
スウェーデン王国(ストックホルム県 / Lidingo Parish)
出生地
スウェーデン王国(Q10679290)
出典
世界地図
スウェーデン王国(ストックホルム県)

伝記

ニルス・グスタフ・ダレーンは、1869年11月30日、スウェーデンのヴェストラ・イェータランド県の小さな村ステンストルプに生まれた技術者・企業家である。実家は農家で、母は子どもたち全員に進学の機会を与えるよう気を配った。幼いころから発明を好み、13歳のときには、父から贈られた古い柱時計を改造して、鳴る15分前に筒が回ってマッチをともし、ランプの上のやかんで珈琲が温まるという目覚まし装置を作ったという逸話がある。農業学校で乳製品の扱いなどを学び、農場の仕事に就くと技術の才と商才を示し、種苗の販売や養蜂、小さな乳製品工場を営んで、実家の事業を拡げた。農業機械の製作や修理にも携わった。

1892年、牛乳の乳脂肪分を調べる装置を発明し、ストックホルムの発明家グスタフ・ド・ラバルに見せに行った。独学でこれを作ったダレーンに感心したド・ラバルは、しっかりした技術教育を受けるよう勧めた。ダレーンはチャルマース工科大学に入り、1896年に学業を修めた。その後1年間、チューリッヒ工科大学のアウレル・ストドラのもとで学び、技術者としての道を固めた。ヘンリク・セルシングと会社を設立した後、1901年にはスヴェンスカ・カルビード・アセチレン社、のちのAGA社で働くようになった。同年、エルマ・ペルソンと結婚し、2人の息子と2人の娘が育った。

彼がまず取り組んだのは、非常に爆発しやすい炭化水素ガスのアセチレンである。このガスを吸収させて安全に貯蔵・輸送できる多孔質の物質「アガマッサン」を発明し、灯台の照明用燃料にアセチレンを使えるようにした。アセチレンの炎はそれまでのガスより明るく白色で、多くの灯台で使われた。さらに、暗くなると自動で点火し、明るくなると自動で消える調節器「ソルベンチル」(太陽バルブ)や、光を強めるときだけガスを使う装置を発明した。これらにより、電力が不要で、従来の10分の1のガス消費量で長持ちし、保守の手間も少ない灯浮標がつくられ、航海の安全に貢献した。1906年に技術主任となり、1909年に社名がAGA社に改まると社長に就任した。1911年のパナマ運河向けの灯台の大型注文が世界進出の転機となり、1912年ごろには大工場がリディンゲに完成して、会社はストックホルムから移転した。

1912年、アセチレン蓄積器の耐圧を調べる試験中に、爆発せず小さな炎しか出していない1つがあった。ダレーンがよく見ようとのぞき込むと突然爆発し、傷を負って失明した。仕事に戻れるまで数か月を要した。同年、「灯台や灯浮標などの照明用ガス貯蔵器用の自動調節機の発明」でノーベル物理学賞を受けたが、この受賞には若干の同情による配慮があったとされる。授賞式には出席できず、眼科医で兄弟のアルビンが代わりに出席した。賞金の多くは従業員への一週間分の特別賃金に充てられ、チャルマース工科大学にも基金が設けられた。1913年に社長に復帰し、1937年まで経営を続けた。1929年には、リディンゲの自宅で家族の協力を得て試験を重ねたオーブン、AGAクッカーを発明した。生涯に100以上の特許を取得した。失明のため完成した自宅を目にすることはなかった。1937年12月9日に没した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物