伝記
フェルディナント・テンニースは、1855年7月26日に生まれ、1936年4月9日にキールで没したドイツの社会学者であり、哲学者である。共同体における「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の社会類型を示した著作で知られる。テニースやテンニエスなどとも表記される。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方の、オルデンスヴォルト近郊の裕福な農家に生まれた。当時この地はデンマークの主権下にあるシュレースヴィヒ公領であった。少年時代を豊かな農村で過ごし、保守的な気質を育んだ。1872年にシュトラスブルク大学に入学し、その後イェーナ大学やベルリン大学などで学んで、テュービンゲン大学で学位を取ったのち、関心は政治哲学と社会問題に向かった。学位論文は北アフリカのシーワ・オアシスを扱ったラテン語の論文で、学位は1877年に授与されたとされる。1877年から翌年にかけての冬には、郷里のフーズムの両親のもとでホッブズやアダム・スミス、リカードらの著作を読み、マルクスの『資本論』第1巻にも目を通したが、読みふける対象はつねにホッブズに戻った。この思想家を知るために、1878年に10週間イギリスへ渡り、兄の家に滞在して、大英博物館の閲覧室で調べものをした。数メートル先にはカール・マルクスが座っていたが、声をかけてはこなかったという。また、他の文書館で、何世紀も研究されていなかったホッブズの重要な草稿を発見した。
1881年にキール大学の哲学・社会学の私講師となった。ハンブルクの港湾労働者のストライキに共感を寄せたため、1896年から翌年にかけて、保守的なプロイセン政府から社会主義者と同一視され、大学での昇進が遅れたという。労働組合や協同組合の運動にも積極的に参加し、フィンランドやアイルランドの独立運動を支援した。1913年にキール大学の正教授となり、1921年に名誉教授として復帰した。ドイツ社会学会の会長は1909年から1933年まで務め、その会員にはゲオルク・ジンメルやマックス・ヴェーバーがいた。1932年から1933年にかけて、ナチズムと反ユダヤ主義を公然と非難したため、名誉教授の地位を奪われた。
彼は、あらゆる社会的相互作用や集団を人間の思考と意思がつくったものと考え、実在的で自然的な「本質意志」と、観念的で作為的な「選択意志」を区別した。前者にゲマインシャフト、後者にゲゼルシャフトという集団類型を立てた。ゲマインシャフト(共同社会)は、家族や友人仲間、近隣を例とする前近代的な社会類型で、成員は感情的・全人格的に結びつく。ゲゼルシャフト(利益社会)は、企業や大都市を例とする近代的な社会類型で、人々は利害と打算で行為する。この区別は形式的な類型にとどまらず、歴史的発展の構想では、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行として定式化された。主著は1887年の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』で、初版はあまり成功せず、1912年の再刊でようやく成功を収めた。ほかに、『ホッブズの生涯と学説』(1896年)、『習俗』(1909年)、『マルクスの生涯と学説』(1921年)などがある。生涯の著作は900を超える。
同じ年に亡くなった人物
- アレクサンドル・タマニアン (1936年没)
- エドモン=フランソワ・アマン=ジャン (1936年没)
- モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ (1936年没)
- Ahmet Tevfik Okday (1936年没)
- カール・ピアソン (1936年没)
同じ地域に関係する人物
- アドルフ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公) (1586年没)
- アウグスト・クント (1894年没)
- Bahne Rabe (2001年没)
- エミール・ノルデ (1956年没)
- カール・ロシャー (1915年没)