伝記
グラツィア・デレッダは、1871年9月27日にサルデーニャ島のヌーオロで生まれ、1936年8月15日にローマで没したイタリアの小説家であり、詩人である。1926年に、セルマ・ラーゲルレーヴに次いで女性作家としては2人目のノーベル文学賞を受賞した。授賞理由は、理想主義に着想を得た作品が、故郷の島の生活を造形的な明晰さで描き、人間一般の問題を深さと共感をもって扱った点にあった。
裕福な大家族に生まれた。父のジョヴァンニ・アントニオは小事業家で地主であり、アマチュアの詩人でもあって、1892年にはヌーオロ市長を務めた。母のフランチェスカ・カンボスはとても信心深く、子どもたちを極めて厳格な道徳で育てた。小学校を終えたあとは、当時の習慣では若い女性が小学校以上の教育を受けることが許されなかったため、親戚宅に滞在していた教師から個人的に教わり、のちに独学で文学を学んだ。この時期に、サルデーニャの農民の暮らしと苦闘に着想を得た短編を書き始めている。教師に勧められて新聞に作品を送り、13歳のときに最初の短編が地方の雑誌に載ったという。ただ、家族は書きたいという彼女の望みを、特に支持してはいなかった。
最初の作品は、1888年から1889年にかけて雑誌「最新流行」に載り、1890年に発表された『青空のなかで』が処女作と見なされる。1892年には最初の長編『サルデーニャの花』を出し、その散文は小説と詩の双方の影響を受けていた。1899年10月、カリアリで陸軍省の官吏パルミロ・マデサーニと出会い、1900年に結婚してローマに移り住んだ。二人の息子が生まれても、ほぼ毎年のように1冊の小説を出すほど、旺盛に書き続けた。
1903年に出版した『エリアス・ポルトルー』の成功によって、作家としての地位を確立し、以後は『灰』(1904年)、1913年の『風にそよぐ葦』など代表作が続いた。衰退しつつある20世紀初頭のサルデーニャを描いたその世界は、詩的だが原始的で閉ざされており、登場人物は、不寛容で迷信的な人間観に支配されていた。現実を克明に描き、デカダン派の影響もあった作品は、ルイージ・カプアーナやジョヴァンニ・ヴェルガといった作家から高く賞賛された。ほかにも、『常春藤』『母』『マリアンナ・シルカ』などの作品がある。1916年には『灰』が、名女優エレオノーラ・ドゥーゼ主演で無声映画化されており、劇場で活躍した女優ドゥーゼが映画に出たのは、これが唯一であった。1919年に創刊された女性向けの国粋的な雑誌にも寄稿した。
1926年のノーベル賞の知らせに、最初は「もう?」と答えたという。受賞でその作品の人気は高まり、権力を固めたばかりのムッソリーニは、署名入りの肖像を送って称賛を示した。記者や写真家が大勢ローマの家を訪れるようになり、最初は歓迎したものの、やがてうんざりした。飼っていた愛するカラスのチェッカが騒がしさに苛立っているのを見て、「チェッカがうんざりしているなら、私もよ」と言い、静かな日課に戻ったという。晩年も、体調が衰えるなかで書き続け、『コジマ』などが没後の1937年に刊行された。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・ウッドロフ (1936年没)
- Rizaetdin Faxretdin (1936年没)
- カール・シュトゥンプ (1936年没)
- ムンシー・プレームチャンド (1936年没)
- 胡漢民 (1936年没)
同じ地域に関係する人物
- ルチアーノ・サルチェ (1989年没)
- パオロ・ジョッベ (1972年没)
- バルトロメオ・マンフレディ (1622年没)
- カルメロ・ベネ (2002年没)
- キュリロス (スラヴの(亜)使徒) (869年没)