伝記
ガイウス・リキニウス・マケルは、古代ローマの歴史家であり政治家である。名高い平民の氏族リキニウス氏の一員で、生年は紀元前105年ごろとも紀元前107年ごろともいわれ、没年は紀元前66年とされる。詩人リキニウス・マケル・カルウスの父でもある。
経歴は、紀元前78年に財務官を務めたとする説明がある。紀元前73年には護民官となり、サルスティウスは、彼が民衆の権利のために運動したと述べている。民衆の主張を熱心に擁護する人物だったということである。その後、法務官に就任した。就任の年は紀元前68年とも紀元前66年ともいわれる。続いて属州を治めたが、紀元前66年、法務官だったキケロによって、収賄と属州での強要の罪で訴えられた。
彼は自分が不当に告発されたと考えていたが、それでも法廷に引き出された。判決が言い渡される直前、一族に汚名が及ぶことと財産の没収を避けるため、ハンカチで喉を詰まらせて自殺したと伝えられる。キケロはこの裁判で彼を有罪にし、その後に自殺した、とする説明もある。
マケルは、ローマの歴史、すなわち年代記を著した。全体は16巻とも21巻ともされ、作品は失われている。ただし、リウィウスとハリカルナッソスのディオニュシオスがこれを用いたため、内容の一部がわかっている。それによれば、叙述はローマの建国から始まり、第2巻にはピュロスが登場した。多くの断片は第1巻に関するもので、ロムルスとレムスの生涯などが語られていた。ロムルスについては、兄弟を殺して派閥間の内乱状態をあおった者とみる、敵意を含んだ伝承が見られるという。また、マクロビウスによれば、マケルは、ローマ暦に閏月を取り入れたのはロムルスだとした。
彼は公文書を用いようとしていたらしく、条約の記録や「麻布の巻物」といった原資料を引用している。しかしリウィウスは、マケルがリキニウス氏を称えるために出来事を曲げたのではないかと、その信頼性に疑いをはさんでいる。リウィウスとプリニウスが断片を伝えており、ビザンティンの歴史家ヨハンネス・マララスも、ローマの起源を述べる際にマケルの著作に近いものに従っていたようである。
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