HISTORICAL PERSON · 1935年没

ヴィクトル・グリニャール

フランスの化学者。グリニャール試薬を発見し、1912年にノーベル化学賞を受賞した。この研究は有機合成の発展に大きな役割を果たした。

生涯
1935年没
死亡地
フランス共和国(ローヌ県 / 7th arrondissement of Lyon)
出生地
フランス共和国(シェルブール)
出典
世界地図
フランス共和国(ローヌ県)

伝記

フランソワ・オーギュスト・ヴィクトル・グリニャールは、1871年5月6日にフランス北西部マンシュ県のシェルブールで生まれ、1935年12月13日に没した化学者である。帆の製造業者の息子として生まれ、勤勉な学生で、謙虚で親しみやすい態度の人だったと伝えられる。数学にも才能があった。

数学の学位をめざしたが試験に失敗し、1892年に徴兵されて陸軍に入った。1年間の兵役の間に伍長に進み、1894年に除隊してリヨンに戻り、リヨン大学で数学の学士号を得た。同じ年の12月に化学へ転じ、フィリップ・バルビエールやルイ・ブーヴォーに師事した。立体化学などの研究に満足できなかったグリニャールが、博士論文の新しい方向をバルビエールに尋ねると、亜鉛を用いたザイツェフ反応が失敗した一方、マグネシウムに替えると低収率ながら成功した例を調べるよう助言された。二人はハロゲン化アルキルからアルコールを合成しようとしていた。グリニャールは、アルデヒドやケトンがマグネシウムとハロゲン化アルキルの反応を妨げて収率が低いのだと仮説を立てた。そこで先にハロゲン化アルキルとマグネシウムの削りくずを無水エーテルの溶液に加え、その後でアルデヒドやケトンを加えたところ、収率が劇的に上がった。

数年後には中間体を単離することにも成功した。ヨウ化イソブチルとマグネシウムを混ぜて加熱し、乾燥したエーテルを加えて反応を観察したのである。この有機マグネシウム化合物が、のちにグリニャール試薬と呼ばれる。1900年に今日その名がつけられている反応を見いだし、1901年に博士論文を発表した。1909年にナンシー大学の有機化学の教授となり、1910年に正教授に昇進した。1912年にはこの研究により、同じフランス人のポール・サバティエとともにノーベル化学賞を受賞した。同年にはフランス化学会からラヴォアジエ・メダルを受け、レジオンドヌール勲章も授与された。

グリニャール反応は、まずハロゲン化物とマグネシウムからグリニャール試薬をつくり、そこにケトンやアルデヒドを加えて、酸性水溶液でアルコールを得る二段階の反応である。試薬は一般にR-Mg-Xで表されるが、実際の構造はもっと複雑である。小さな分子から有機化合物をつくる重要な手段として、有機合成化学を大きく進展させた。

第一次世界大戦では再び召集され、伍長のまま哨兵の任務に就いた。上官にはずすよう命じられたのに勲章を着けていたことから参謀本部の目に留まり、調べた結果、哨兵よりも研究に向くとされ、化学戦の研究に回されたという。毒ガスの研究では、ホスゲンの合成とイペリットの検出を手がけた。1918年には、ヨウ化ナトリウムがイペリットの野外検査に使えることを見いだし、この方法は戦場で用いられた。ドイツ側で対抗したのは、同じノーベル化学賞受賞者のフリッツ・ハーバーである。1919年以降はリヨン大学教授を務め、1933年にレジオンドヌール勲章のコマンドゥールを受けた。1935年にリヨンで64歳の生涯を閉じた。そのころまでに、グリニャール反応の応用を報告する論文は約6000本が発表されていた。

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