HISTORICAL PERSON · 1932年没

アルベルト・サントス=デュモン

ブラジル出身の発明家・飛行家。飛行船の造船で有名で、ヨーロッパ初の飛行機製作者となった。

生涯
1932年没
死亡地
ブラジル連邦共和国(サンパウロ州 / グアルジャ)
出生地
ブラジル連邦共和国(Santos Dumont)
出典
世界地図
ブラジル連邦共和国(サンパウロ州)

伝記

アルベルト・サントス=デュモンは、1873年7月20日にブラジルのミナスジェライス州で生まれた発明家・飛行家である。父アンリ(エンリケ)・デュモンはフランス系の技術者で、鉄道建設の仕事に就いたのちにコーヒー栽培で成功し、アリンデウーヴァ農園には約500万本のコーヒーの木があって、「コーヒー王」とも見なされた。農園には機関車が7台、96キロメートルの鉄道まであった。アルベルトは姉ヴィルジニアから読み書きを教わり、フランスから雇われた家庭教師にも学んだ。雲や鳥を眺め、ジュール・ヴェルヌの本を読み、1888年にサンパウロの祭りで初めて気球を見た。思春期には父の許しを得て農園の機関車を運転し、蒸気機関や歯車、滑車を調べて機械の整備を手伝った。18歳のとき、父が仕事中に落馬して骨盤を折り、治療のかいなく亡くなった。農園の経営ができなくなったため、一家は祖先の国フランスに渡った。

成人後、フランスで飛行船や航空機の開発に熱中し、さまざまな飛行記録をつくった。1901年には半硬式の飛行船6号機で、制限時間内にエッフェル塔をまわる飛行にかけられたドゥーチ賞を獲得した。6号機は市民から「プティ・サントス」と呼ばれて親しまれた。9号機「バラドゥーズ」でブローニュの森のお気に入りのレストランに降り立ち、昼食を楽しんだという話が有名である。バラドゥーズとは散歩をする人の意味である。一方、ロスチャイルド邸の庭園に非常着陸(墜落)したこともあり、自宅に緊急着陸して、使用人に淹れさせた珈琲で一息ついて再び飛び立ったという話も残っている。

アメリカのライト兄弟に遅れること3年、1906年10月23日に、エンテ型の動力機14ビス号の公開実験で、高さ約3メートル、距離約60メートルを飛んだ。11月12日には再び公開で、高さ6メートル、距離220メートルを飛行し、100メートル以上の飛行にかけられたアルシュデック賞を獲得した。これはヨーロッパで最初の飛行機の飛行であり、当時はライト兄弟の飛行が知られていなかったため、「人類初の飛行」と大々的に報じられた。デュモンは賞金を慈善活動に供したうえ、機体の特許を取らず、誰にでも飛行原理を理解できるよう設計図まで公開した。ドゥモワゼル号を含む復元機は、フランスのル・ブルジェ航空宇宙博物館に展示されている。

1910年ごろから多発性硬化症を発病し、引退してパリ郊外に家を買い、隠遁生活を送った。第一次世界大戦で飛行機や飛行船が兵器に使われたことに失望し、ヨーロッパを去って故郷のブラジルに帰ったが、平和の国と信じたそこでも、飛行機が内戦の鎮圧に使われた。著名人の署名を集めて飛行機を戦争に使わないよう提言したが、ヴァルガス大統領や国会は黙殺したという。1932年7月23日、サンパウロ州グアルジャのホテルで、ネクタイで首を吊って自殺したとされ、当局は死因を「心臓発作」と発表した。ライト兄弟と同じく生涯独身だった。ブラジルでは今も名が大きく残り、空港や博物館、勲章に名を冠している。1942年から1967年の10,000クルゼイロ紙幣には肖像が採用され、フランスの宝石商カルティエの腕時計『サントス』は、デュモンの依頼で作られたパイロット用腕時計を原型とする。

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