伝記
ハリール・ジブラーンは、1883年1月6日に生まれ、1931年4月10日に没したレバノン出身の詩人であり、画家、彫刻家である。英語読みからカリール・ジブランとも呼ばれ、キリスト教マロン派の信徒であった。オスマン帝国時代末期に、現在のレバノン北部の山間の村ブシャッリで生まれ、1895年に父だけを故郷に残し、母と兄1人、妹2人とともに、母の兄を頼ってアメリカ合衆国のボストンに移住した。そこで英語の初等教育を受け、1898年にはアラビア語の高等教育を受けるため、単身で帰国した。この頃、15歳で早くも『預言者』の草稿をアラビア語で書き、その後も散文詩を書いて、詩人たちの肖像画を描いた。
1902年に再びアメリカへ渡り、1905年にアラビア語の作品『音楽』を出版してデビューした。その後も、アメリカのアラビア語雑誌「アル・フヌーン」を中心に、短編小説や寓話、詩、エッセーなどを発表した。1908年にはヨーロッパに渡り、パリに2年間滞在して、ロダンに師事した。ウィリアム・ブレイクやニーチェの思想に触れ、ドビュッシーとも親交を深めたという。ロダンは彼の才能を認め、パリで絵と彫刻の個展が開かれ、画集も出版された。
1910年にボストンへ戻ると、『預言者』を英語に書き直し、何度も推敲を重ねた。その傍ら、1912年にはアラビア語で初の長編小説『折れた翼』を、1918年には初の英語著作となる寓話集『狂人』を刊行した。『狂人』では、周囲によって作られる現代の狂気をモチーフにしている。アラビア語と英語を用いた移民の文学はマフジャル文学と呼ばれ、彼もその作家として、1920年にアミーン・アッ・ライハーニーらと作家同盟を結成した。
1923年に英語で発表した散文詩的な作品『預言者』は、世界的に知られる詩集となった。1920年代と1950年代にアメリカでよく読まれ、のちにヒッピーのバイブルとも呼ばれた。アラビア語世界では1950年代に読まれて、アラビア語文学者から批判も受けたが、現在ではその意義が肯定的に評価されている。世界30数か国語に翻訳されている。『預言者』の挿絵は自ら描いた。『驚異と奇譚』では、イブン・ハルドゥーンらアラビア語の著作家14人の肖像画を描いている。『預言者』の刊行から8年後の1931年に、ニューヨーク市で没した。故郷ブシャッリの郊外には、彼を記念する博物館がある。
「20世紀のウィリアム・ブレイク」とも称され、宗教や哲学に根ざした壮大な宇宙的ヴィジョンをうたう詩や絵画を残し、その作風は後世のさまざまな詩人や政治家に影響を与えた。ジョン・レノンは箴言集『砂と泡』の一節を、ビートルズの『ジュリア』(1968年)の歌詞に引用した。詩はレバノンの歌手フェイルーズをはじめアラビア語圏でも多く歌われ、詩集『行列』の「木笛をくれ」がよく知られる。没後の1933年には続編と位置づけられる『預言者の園』が刊行されたが、草稿を死後にバーバラ・ヤングがまとめたもので、文体はかなり異なるという。日本では、皇太子妃だった当時ののちの上皇后美智子がレバノン大統領から贈られた『預言者』を愛読し、相談役の神谷美恵子にも紹介した。それが、神谷が後に『預言者』の抜粋集を執筆するきっかけとなった。
同じ年に亡くなった人物
- エミール・ワールブルク (1931年没)
- Georgi Atanasov (1931年没)
- アルマン・ファリエール (1931年没)
- ハーバート・バデリー (1931年没)
- コズモ・ダフ=ゴードン (第5代準男爵) (1931年没)
同じ地域に関係する人物
- マーサ・グレアム (1991年没)
- ハワード・バレンタイン (1932年没)
- ロバート・ハットン (1994年没)
- アート・ブレイキー (1990年没)
- ジョージ・バランシン (1983年没)