伝記
リヒャルト・アドルフ・ジグモンディは、1865年4月1日にウィーンで生まれ、1929年9月23日に没した化学者である。ハンガリー名はジグモンディ・リハールドで、ハンガリーの郷士の家系に生まれた。コロイドの研究により1925年のノーベル化学賞を受賞したほか、限外顕微鏡や各種のメンブレンフィルターの共同発明者としても知られる。月のクレーターには、彼の名が付けられている。
父アドルフは、ブラティスラヴァ出身の科学者で、歯科用の外科器具をいくつも考案した人物であった。母イルマ・サクマーリは詩人であった。一族はルーテル派で、教師や牧師、ハンガリーの自由の闘士を輩出したという。1880年に父を亡くすと、母の手で育てられ、幅広い教育を受けた。きょうだいたちと登山を楽しみ、兄のオットー(歯科医)とエミール(医師)は著名な登山家であり、弟のカールはウィーンで名の知れた数学者となった。高等学校では化学と物理学に興味を持ち、自宅の実験室で実験をしていた。
ウィーン大学医学部に入学したが、まもなくウィーン工科大学に移り、さらにミュンヘン大学へ移って、ヴィルヘルム・フォン・ミラーに師事して化学を学んだ。ミュンヘン大学ではインデンの研究に取り組み、1889年にエルランゲン大学から博士号を受けた。1885年に最初の論文をウィーン時代の師ルドルフ・ベネディクトとの共同で発表し、1887年にはガラスの色を扱った論文を著した。これは以後30年にわたって取り組む研究分野の出発点となった。有機化学を離れ、ベルリン大学のアウグスト・クントの物理学の研究グループに加わった。
1893年に助教授として故郷オーストリアのグラーツに移り、ガラスのコロイド溶液を研究した。ガラスと着色の知識を買われて1897年にショット社の誘いを受け、ミルクガラスを発明し、赤いルビーガラスの研究も行った。グラーツ時代は最も重要な業績を挙げた時期とされ、クランベリーガラス(ルビーガラス)の赤い色が生じる仕組みも、コロイドの研究の成果であった。1900年にショット社を離れたが、イェーナに残って私講師として研究を続けた。ここで光学機器メーカーのツァイス社と協力し、ジーデントプフと共に限外顕微鏡を開発した。金のハイドロゾルの研究も行い、それを用いてタンパク質溶液の特徴づけを行った。
1908年にゲッティンゲン大学に移り、無機化学の教授として生涯の研究生活を送った。そこで光学装置を改良し、液体中の微細なナノ粒子を観察するため、1912年に液浸限外顕微鏡を導入した。1916年にはヴィルヘルム・バッハマンと共に新しいメンブレンフィルターを開発し、特許は彼が株主らと設立した会社に移された。1903年にラウラ・ルイゼ・ミュラーと結婚して二人の娘をもうけた。1925年のノーベル化学賞は、コロイドの研究と、限外顕微鏡などその方法に対して授与された。限外顕微鏡は、カッシウスの紫の研究にも用いられた。ゲッティンゲン科学アカデミーの会員となり、ウィーン工科大学やグラーツ工科大学などから名誉博士号を受けている。ゲッティンゲン大学を退いて数か月後の1929年、動脈硬化により世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- Karl Scheurer (1929年没)
- カール・ユリウス・ベロッホ (1929年没)
- エンリコ・フェリ (1929年没)
- チャールズ・パーハム (1929年没)
- オールドフィールド・トーマス (1929年没)
同じ地域に関係する人物
- ハインリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公) (1532年没)
- レオナルト・ネルソン (1927年没)
- ヤーコプ・ヘンレ (1885年没)
- グレーテ・ローゼンベルグ (1979年没)
- ゴットリープ・エルンスト・シュルツ (1833年没)