HISTORICAL PERSON · 1928年没

チャールズ・レニー・マッキントッシュ

スコットランドの建築家・デザイナー・画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者で、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人。グラスゴー生まれ。

生涯
1928年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
イギリス連邦(Townhead)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

チャールズ・レニー・マッキントッシュは、1868年6月7日に生まれ、1928年12月10日に没したスコットランドの建築家、デザイナー、画家である。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。

グラスゴーのタウンヘッドで、グラスゴー市警察の監督官兼首席書記だった父ウィリアムと母マーガレット・レニーの子として生まれた。11人きょうだいの一人である。1880年から1883年にはリード公立学校とアラン・グレン学院に通った。幼少の頃より足と目に障害を持っていたが、スコットランドの風土に触れる機会には恵まれ、多くのスケッチを描いた。姓の綴りは、理由は分かっていないものの、父と同じく1893年頃に改めている。ミドルネームのレニーは母の旧姓で、「レニー・マッキントッシュ」を姓のように呼ぶのは誤りである。友人や家族からは親しみを込めて「トシー」という愛称でも呼ばれた。

建築家ジョン・ハッチソンの下に弟子入りし、夜間はグラスゴー美術学校でデザインと美術を学んで、在学中に多くの賞を受けた。1889年には、ジョン・ハニーマンとジョン・ケッピーが率いる有力な設計事務所ハニーマン&ケッピーに製図係として入り、1901年にはパートナーとなった。1890年にはアレクサンダー・トムスン旅行奨学金を獲得し、翌1891年にイタリア旅行に出かけている。1892年頃に美術学校で画家のマーガレット・マクドナルドと出会い、同僚ハーバート・マックニーとともに、校長フランシス・ニューベリーの紹介でマーガレットとその妹フランセスに引き合わされた。この4人は「ザ・フォー」と呼ばれ、グラスゴー、ロンドン、ウィーンなどで展覧会を開いた。「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ウィーン分離派に影響を与えたといわれる。マーガレットとは1900年8月22日に結婚したが、子どもはなかった。マックニーとフランセスも前年に結婚している。

27歳の若さで、母校であるグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペに優勝した。そのほか、グラスゴーのティー・ルームのインテリアデザイン、ヒル・ハウスの設計などを手がけた。ヒル・ハウスには日本建築の影響がみられる。このほかの建築や室内の作品に、ライトハウス、ウィロー・ティールームズ、美術学校の図書館などがある。グラスゴーは産業革命期に重工業と造船の中心地の一つで、クライド川の造船所を通じて日本とも結びつきが強かった。マッキントッシュは日本の造形を、華美な積み重ねではなく手数の少なさと簡素さ、自然な素材、質感と光と影を生かす点で称賛したとされる。

1910年代初めになると、ハニーマン、ケッピー&マッキントッシュの事務所は収益が落ち込み、1913年にマッキントッシュは共同経営から退いて自分の事務所を開こうとした。当時は建築家としての名声が十分に得られず、建築の仕事がなくなったため、後年は南フランスに移って水彩画家に転向した。1928年、喉の癌のためロンドンで死去した。クライズデール銀行が発行する100ポンド紙幣には、肖像が使われている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物