伝記
オリヴァー・ヘヴィサイドは、1850年5月18日にロンドンのカムデンタウンで生まれ、1925年2月3日に没したイギリスの電気技師・物理学者・数学者である。幼時に猩紅熱にかかり、難聴となった。正規の大学教育を受けず、研究機関にも所属せず、独学で研究を行った。電気回路にインピーダンスの概念を導入し、複素数を使い、「ヘヴィサイドの演算子法」という物理数学の方法を開発した。マクスウェル方程式を、今日一般的な形に書き直し、広く理解され応用される道を切り開いた。生涯の大半を科学の権威と対立しながら過ごしたが、電気通信、数学、科学のあり方を変えた。木彫版職人のトーマス・ヘヴィサイドと、家庭教師だったレイチェル・エリザベス(旧姓ウェスト)の4人兄弟の末っ子として生まれた。成績は優秀だったが、16歳で両親が学校に通わせる余裕がなくなり、独学を続けて、それ以上の正式な教育は受けなかった。義伯父はチャールズ・ホイートストン卿で、電信と電磁気学の世界的な専門家であり、1830年代半ばに初めて商業的に成功した電信の共同発明者だった。
1869年、デンマークのフレゼリシアにあった電信会社で電信技士として働き始めた。会社は翌年、別の電信会社に吸収合併され、ヘヴィサイドはニューカッスルに配置換えとなり、そこからデンマークまでの海底ケーブルの敷設に関わって、まもなく主任電信技士になった。働きながら勉強を続け、22歳までに科学雑誌『フィロソフィカル・マガジン』に、ホイートストンブリッジの最適な配置についての論文を発表し、トムソンやマクスウェルから好意的な評価を得た。1873年にマクスウェルの『電気磁気論』に出会ったとみられる。1874年に電信技士の仕事をやめ、ロンドンの実家へ戻った。被雇用者として働いたのは、74年の人生で、1869年からの6年間だけだった。
自宅で研究を続け、伝送線路理論(「電信者の方程式」)の発展に貢献した。電信線路に一様に分布したインダクタンスが、減衰と歪みの両方を減らし、インダクタンスが十分大きく絶縁抵抗が高すぎなければ、全周波数の電流の伝搬速度が等しくなって、回路が無歪みになることを数学的に示した。1882年から1902年まで、3年間を除いて、電気技士の地位向上を望む業界紙に定期的に記事を寄稿し、年間40ポンドの報酬を得ていた。1884年にはマクスウェルの数学的解析を、煩雑な四元数の形式から現代のベクトル形式に再構成し、当初の20の方程式を、現在のマクスウェルの方程式として知られる4つの微分方程式に直した。1880年から1887年には、微分演算子を用いた演算子法を開発し、微分方程式を代数方程式として直接解く方法を示したが、厳密さに欠けるとして論争を引き起こした。
1887年、兄アーサーとともに電話のブリッジシステムについての論文に取り組んだが、アーサーの上司である郵便局のプリースに阻止された。論文の提案の一部は、電話線と電信線にコイルを加えて自己インダクタンスを増やし、歪みを修正すべきだというものだったが、プリースは自己インダクタンスが伝送の大敵だと発表していたためである。プリースとの間には長い敵対関係があり、ヘヴィサイドは彼を数学的に無能だと考えていた。ヘヴィサイドの研究の重要性は、発表後もしばらく発見されなかった。1897年、AT&Tは自社の科学者キャンベルと、外部の研究者ピューピンに、研究が不完全または誤っている点を探させ、彼らがその研究を発展させたうえで、ヘヴィサイドが先に発明したコイルの方法についても特許を申請した。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・リーヴァー (1925年没)
- トーマス・R・マーシャル (1925年没)
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