HISTORICAL PERSON · 1920年没

ジョン・リード

アメリカ出身のジャーナリスト・活動家。メキシコ革命のルポで有名になり、ロシア革命を取材した『世界を揺るがした10日間』で知られる。1920年にモスクワでチフスで死去し、クレムリンの壁墓所に埋葬された。

生涯
1920年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ)
出生地
アメリカ合衆国(ポートランド)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

ジョン・サイラス・リード(愛称ジャック)は、1887年10月22日、オレゴン州ポートランドで生まれたアメリカ合衆国出身のジャーナリスト・活動家である。ロシア革命のルポルタージュ『世界を揺るがした10日間』で知られ、ソ連で英雄とされた。生まれたのは、現在のグース・ホロー地区にあった母方の祖父母の邸宅である。母マーガレットは、ガス・電灯会社、西海岸初の銑鉄の精錬所、ポートランドの水道事業を起こして財を成した実業家ヘンリー・ドッジ・グリーンの娘だった。父チャールズ・ジェローム・リードは東部の生まれで、農業機械メーカーの代理人としてポートランドに来た人物である。機知に富み、すぐに土地の実業界に受け入れられた。夫妻は1886年に結婚したが、一家の富はグリーン家から来ていた。病弱な子で、看護人や使用人に囲まれて育ち、母は上流階級の遊び仲間を慎重に選んだ。二つ年下の弟ハリーがいる。兄弟はできたばかりの私立のポートランド・アカデミーに通った。頭はよく、授業は難なくこなしたが、学校は無味乾燥で退屈と感じて、優秀な成績をとる努力はしなかった。

1904年9月、大学の準備のためニュージャージー州の予備校に送られた。大学に行かなかった父は、息子たちにハーバードに行かせたがった。予備校でも成績は振るわなかったが、フットボールの選手になり、文才の片鱗を見せた。ハーバード大学の入学試験には一度失敗し、2度目に合格して1906年秋に入学した。背が高くて美男子で陽気な彼は、あらゆる学生活動に打ち込み、応援団と水泳部に入り、『ハーバード・ランプーン』などの編集委員を務め、グリークラブの会長となり、演劇クラブを創設した。社会主義クラブの会合には、友人のウォルター・リップマンが会長だったため出たが、会員にはならなかった。このクラブは大学が使用人に生活できる賃金を払わないことを攻撃した。のちにリードは、この経験により、退屈な外の世界では大学の活動よりもわくわくすることが起きていると気づかされたと回想している。1910年にハーバードを卒業し、その夏にイギリス、フランス、スペインを訪ねた。渡欧の船賃を稼ぐため、家畜運搬船で労働者として働いた。旅は、人生を見なければ書けないと説いた教授に励まされたものだった。

ジャーナリストになることを決意してニューヨークで名を上げようとし、ハーバードの人脈リンカーン・ステフェンズに助けられて、雑誌の編集部に入った。労働者のストライキへの同情的な報道や、メキシコ革命のルポルタージュで有名になった。第一次世界大戦中のヨーロッパでロシア革命の始まりを聞き、1917年にロシアへ向かった。その体験やレーニンへのインタビューなどを『世界を揺るがした10日間』としてまとめた。この書に、のちにレーニン夫妻が序文を寄せ、「世界の労働者達に無条件で推薦する」と称賛した。英語版によれば、リードは1918年に短期間だが赤衛隊に加わり、1919年にはアメリカ共産労働党の設立に加わった。1920年10月、モスクワでチフスのため死去した。葬儀ののち、ソ連の英雄として、赤の広場のクレムリンの壁に埋葬された。ここに葬られたアメリカ人は五人だけである。1981年の映画『レッズ』は、後半生を描いている。

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