伝記
アンデシュ・レオナルド・ソーンは、1860年2月18日に生まれ、1920年8月22日に没したスウェーデンの画家、彫刻家、エッチング版画家である。アンデルスやアンデースとも表記される。肖像画家として国際的な成功を収め、スウェーデン王オスカル2世や、3人のアメリカ大統領クリーブランド、タフト、セオドア・ルーズベルトを描いた。晩年の1920年には、スウェーデン文学のベルマン賞を設立した。
ダーラナ地方、シリアン湖のほとりの村ムーラの教区で生まれ、祖父母の農場で育てられた。12歳までムーラ・ストランドの学校で学び、1872年の秋にエンシェーピングの中等学校に進んだ。1875年から1880年までストックホルムの王立美術アカデミーで学び、その才能は教師たちを驚かせた。ストックホルムの社交界の人々から、制作の依頼もあった。1881年の初めにエマ・ラムと出会った。彼女は裕福なユダヤ人商人の家の出で、芸術や文化に関心があり、長い婚約の後、1885年10月に民事婚で二人は結ばれた。1881年からの4年間はイングランドやスペインなどで学んだが、毎年夏には地元ムーラに戻ってきた。結婚後の11年間は、イングランドやパリで過ごし、ロンドン、パリ、バルカン半島、スペイン、イタリア、アメリカ合衆国など、広く旅をした。1890年代のパリでは、フィンランド人のアルベルト・エーデルフェルトと多くの時間を過ごした。
スウェーデンの同年代の画家の中では最も早く頭角を現し、パリでは知名度も高く、画家のマネと、幼なじみの政治家アントナン・プルーストとも親交があった。1889年のパリ万国博覧会の展示会には、友人でありライバルでもある画家のカール・ラーションとともに作品を出展し、大賞の受賞も期待された。実際には、リッカルド・ベリが大賞をとり、ソーンとラーションは次点の金賞を分け合った。スウェーデンの資産家ポントゥス・フュルステンベリは、ソーンやラーションらのパトロンであり、その援助で二人は万博に出席できた。29歳で、同万博でレジオンドヌール勲章のシュヴァリエを授与された。初期の作品には水彩画が多かったが、1887年までには油彩に切り替えた。国際的な評価を得たのは、主に肖像画家としての技量で、モデルの個性を的確に描く能力によるものだった。大柄な女性を描くことを好んだため、ダーラナ地方の未婚の女性を指す「ソーンの娘」という語が生まれた。
作品で裕福になり、国内外で多くの美術品を収集した。1886年にエマとともにムーラの教会の近くに土地を買い、母方の祖父の農場から小屋を移した。数年の外国生活を経てスウェーデンに戻ると、これを増築し、1910年に、農場と住居を兼ねたソーンの家が完成した。現在は美術館として公開され、住人の必要と発想で増改築を重ねたその家には、ラーションの家リッラ・ヒュットネースとの類似点がみられる。夫妻は、共同の遺言で、所蔵品のすべてをスウェーデン国家に寄贈した。2010年6月3日、1886年に描かれた水彩画『夏の楽しみ』が2,600万クローネで落札され、スウェーデンの美術史上で最も高値で取引された絵となった。
同じ年に亡くなった人物
- ブリトン・リヴィエール (1920年没)
- ピーター・カール・ファベルジェ (1920年没)
- マーガレット・オブ・コノート (1920年没)
- ロバート・ピアリー (1920年没)
- テレンス・マクスウィニー (1920年没)
同じ地域に関係する人物
- ベネディクタ・ヴィーゼ (1199年没)
- Gote Hagstrom (2014年没)
- ヨハン・ゴットリーブ・ガーン (1818年没)
- Borje Leander (2003年没)
- Philippe Fanoko Kossi Kpodzro (2024年没)