伝記
ゴドフロワ3世は、1140年から1142年ごろに生まれ、1190年8月に没した、ルーヴェン伯、ブラバント方伯、アントウェルペン辺境伯で、下ロートリンゲン公である。ドイツ語ではゴットフリート8世と呼ばれる。父はルーヴェン伯で下ロートリンゲン公のゴドフロワ2世、母はルイトガルト・フォン・ズルツバッハである。父が1142年に没して領地を継いだとき、まだ幼児で、このため「ゆりかごの中の公爵」と呼ばれた。
継承の直後から、ブラバントの貴族や親族の一部が、その幼さを利用して下ロートリンゲン公から独立しようとして反乱を起こし、領内は無秩序に陥った。これはグリムベルゲンの戦い(1141年〜1159年)と呼ばれる。1147年3月30日には、アーヘンで行われたローマ王コンラート3世の息子ハインリヒ・ベレンガルの戴冠式に出席した。1148年、コンラート3世が第2回十字軍に出発すると、戦争が新たに起こった。ゴドフロワはまだ若く、領地を抑えきれなかった。新しい皇帝としてフリードリヒ1世が選ばれるまで、和平はなかなか実現しなかった。
1155年か1158年に、対立する地域で力をもつリンブルフ公ハインリヒ2世の娘マルガレーテと結婚し、2つの家をむすびつけた。1159年には、グリムベルゲンの城を焼き払い、グリムベルゲンの領主だったベルトウト家との18年にわたる戦いを終わらせた。1171年にエノーと戦って敗れた。1172年にはアールスホット伯の位を購入した。1179年には、息子のアンリ1世を、フランドル伯フィリップ・ダルザスの姪と結婚させた。
1182年から1184年にかけて、エルサレムへ遠征した。この間に、皇帝フリードリヒ1世は息子のアンリ1世に「ブラバント公」の称号を与えた。ゴドフロワは1190年8月10日か21日に没した。領土を広げ、ヴィルボールデ近くのネデラーの要塞も築いた。1190年9月にシュヴェービッシュ・ハルで開かれた議会で、息子アンリ1世による公爵位の継承が認められた。
マルガレーテとのあいだには、のちにブラバント公となるアンリ1世と、リエージュ司教となったアルベールが生まれた。アルベールは1192年にランスで殺害された。マルガレーテの死後、ローン伯ルートヴィヒ1世の娘イマギナと再婚し、ペルヴェとリュースブルクの領主となったギヨームと、1196年にイングランドへ渡ったゴドフロワの2人の子をもうけた。
同じ年に亡くなった人物
- イザベル・ド・エノー (1190年没)
- フロリス3世 (ホラント伯) (1190年没)
- ヘルマン4世 (1190年)
- シビーユ (エルサレム女王) (1190年没)
- ボールドウィン・オブ・フォード (1190年)
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