HISTORICAL PERSON · 1917年没

エドガー・ドガ

フランスの印象派の画家・彫刻家。銀行家の息子としてパリに生まれ、エコール・デ・ボザールで学び、イタリアで古典美術を研究した。

生涯
1917年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

エドガール・ドガは、1834年7月19日、パリに銀行家の息子として生まれたフランスの印象派の画家、彫刻家である。フルネームはイレール・ジェルマン・エドガー(エドガール)・ド・ガ。母セレスティーヌはニューオーリンズ出身のクレオールで、ドガは1872年の末から翌年にかけて、5か月間ニューオーリンズに住んだ。「ド・ガ」という貴族風の姓を持つが、ドガ家はフランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、エドガールが生まれた頃には、さほど裕福ではなかったらしい。1855年にエコール・デ・ボザール(官立美術学校)で、アングル派の画家ルイ・ラモートに師事した。1856年と1858年にはイタリアを訪れ、古典美術を研究している。

ドガは通常、印象派の画家の一員とみなされる。1874年の第1回印象派展以来たびたび出品し、全8回のうち第7回展以外のすべてに参加した。1862年にマネと知り合ってからは、カフェ・ゲルボワの画家グループにも加わった。しかし、光と影の変化をキャンバスに写し取ろうとしたモネのような典型的な印象派の画家と異なり、制作の基盤は、ルネサンスの巨匠や、熱烈に信奉したアングルの画風にあった。古典的な手法で現代の都会生活を描き出したので、「現代生活の古典画家」を自任した。ただし、他の印象派の画家と同様に、浮世絵、とくに葛飾北斎の影響を強く受けていることが小林太市郎によって指摘され、日本のジャポニスム研究の発端となった。『北斎漫画』の「すもう取り」を『踊り子たち、ピンクと緑』などに転用した例がある。

作品には室内の風景が多い。初期は海辺の情景などだったが、1870年代後半のモノタイプによる連作では、客と娼婦たちの姿を多く描いた。1880年代半ば以降のパステル作品では、閉ざされた部屋で黙々と身づくろいに精を出す女たちを描いた。野外の風景は競馬場など人の集まる場所に限られ、関心の対象は徹底して都会生活とそこにいる人間だった。普仏戦争に国民衛兵として従軍した際、寒さで目をやられ、「まぶしがり症」ともいわれる網膜の病気を患って、外に出ることがままならなかったことも関係すると言われる。とりわけバレエの踊り子と浴女を題材にした作品が多く、一瞬の何気ない動作を永遠化する素描力は秀逸である。写真技術にも強い関心を示した。パステル画を多く描いたのは、銀行家の父が負債を隠したまま亡くなり、兄も事業に失敗して負債を抱えたため、返済のために大量に描く必要があったからでもある。晩年は視力が衰え、デッサン人形として使った踊り子や馬を題材にした塑像、彫刻も作り、それらは没後にアトリエから発見された。

バレエの主題では、楽屋や練習風景、舞台袖など、一般人が出入りできない場所を多く描いた。当時の踊り子たちはオペラ座の「小さなネズミ」と呼ばれていたが、彼女らの舞台裏をありのままに描いた。ドガはバレエを好み、オペラ座の定期会員になっていた。座席を年単位で購入する定期会員は、楽屋や稽古場に自由に立ち入ることが許された。1881年に発表した彫刻『14歳の小さな踊り子』をモチーフにしたバレエ作品が、2003年にガルニエ宮で初演されている。ひどく気難しく皮肉屋で、画家仲間との衝突が絶えなかったが、晩年はドレフュス事件で有罪を主張したために、ゾラなど数少ない友人を失ったという。1917年9月27日に没した。

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