伝記
サー・エドワード・バーネット・タイラーは、1832年10月2日にロンドンのキャンバーウェルで生まれ、1917年1月2日に没したイギリスの人類学者で、「文化人類学の父」と呼ばれる。宗教の起源についてアニミズムを提唱した。裕福なクエーカー教徒の家に生まれ、父ジョセフ・タイラーはロンドンの真鍮工場の所有者で、母はハリエット・スキッパーである。兄アルフレッドは地質学者になった。トッテナムの学校に通っていたが、厳格なクエーカーとしての背景や両親の死のために、16歳で学校を離れ、大学の学位は取らなかった。その後、家業の経営を手伝う準備をしていたが、23歳で結核に似た症状を発し、この計画を断念した。1855年、医師の勧めを受けて、療養のために温暖な地を求め、イングランドを発ってアメリカ大陸へ旅立った。この経験が、他の文化を研究するという生涯の関心を生んだ。
旅の途中で、同じクエーカー教徒で、民族学者・考古学者でもあるヘンリー・クリスティと出会った。クリスティとの出会いはタイラーの人類学への関心を大きく刺激し、先史時代の研究にまで問いを広げる助けとなった。最初の出版物は、1856年にクリスティとメキシコを旅した成果であり、出会った人々の信仰や習慣を記録したものが、帰国後の1861年に『アナワク』として出版された。その後、現代と先史時代の部族社会の習慣と信念を研究し続けて、1865年に『人類の初期史と文明の発達に関する研究』を、1871年に代表作『原始文化』を刊行した。『原始文化』は、人間の文明を徹底的に調べた点で重要であっただけでなく、フレイザーら若い学者たちに疑いようのない影響を与え、彼らは弟子としてのちの人類学の科学的研究に大きく貢献した。
1883年にオックスフォード大学付属博物館の館長に任命され、講師を務めるかたわら、1884年から1895年には初代の人類学の「リーダー」の称号を持った。1896年にはオックスフォード大学の初代人類学教授になった。ピット・リヴァース博物館の初期の歴史にも深く関わり、『オックスフォード英語辞典』の初版では、人類学の相談役を務めた。1907年の75歳の誕生日には、20人の人類学者の論文と、ラングによる評価、バーバラ・フレイレ=マレコによる文献目録を収めた記念論集が贈られた。同年トーマス・ハクスリー記念賞を受け、1912年にナイトに叙された。
タイラーは文化進化研究の先駆者の一人であり、19世紀の文化進化論を代表する。『原始文化』と『人類学』(1881年)では、進化論をもとに、人類学を科学的な研究として位置づけようとした。社会や宗教の発展には機能的な基盤があり、それは普遍的だと考えた。あらゆる社会は、野蛮から未開、文明へという3つの基本的段階を経ると主張した。文化には「斉一性」が現れ、それは「一様な原因の一様な作用」の結果だと考えた。人類の歴史や先史時代の研究が、イギリス社会の改革の基礎になると信じていた。アニミズムという語を再び一般に広め、「すべての物や自然現象に霊魂や精神が宿るという思考」と定義して、宗教の最初の段階とみなした。
同じ年に亡くなった人物
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