HISTORICAL PERSON · 1916年没

ルベン・ダリオ

ニカラグア生まれの詩人。ラテン・アメリカのモデルニスモを代表し、19世紀のラテン・アメリカで最も偉大な詩人と称される。13歳で少年詩人として知られ、パリで特派員として暮らして地位を築いた。

生涯
1916年没
死亡地
ニカラグア共和国(レオン県 / レオン)
出生地
ニカラグア共和国(シウダ・ダリオ)
出典
世界地図
ニカラグア共和国(レオン県)

伝記

フェリクス・ルベン・ガルシア・サルミエントは、1867年1月18日に生まれ、ルベン・ダリオの筆名で作品を発表したニカラグアの詩人である。キューバのホセ・マルティ、ウルグアイのロドーとともに、19世紀後半から20世紀初頭のラテン・アメリカのモデルニスモを代表し、19世紀のラテン・アメリカで最も偉大な詩人と称される。ニカラグアでは、サンディーノと並ぶ国民的な英雄となっている。彼の詩は、当時の淀んだ単調なスペイン語詩に活力をもたらした。2002年から発行された100コルドバ紙幣に肖像が使われ、2009年のデザイン変更後は、首都マナグアにあるダリオ記念像が図柄になっている。

ニカラグア北部のメタパで、商人の父マヌエル・ガルシア・ダリオと、母ロサ・サルミエント・アレマンの間に生まれ、1867年3月にレオンで洗礼を受けて、フェリックス・ルベンと命名された。ダリオという名は、先祖の名に由来し、のち姓として使われたもので、父はダリオの名で商売をしていた。両親はいとこ同士で、家同士が決めた結婚だったため、彼が生まれる1か月前に別れていた。父はレオンで行商をし、母は子を連れてホンジュラスの山間の村に移ったが、まもなく去り、詩人自身も母の記憶はごくわずかだと述べている。ホンジュラスで幼年期を過ごした後、レオンに戻り、15歳まで叔母のもとで暮らした。その家は今、ルベン・ダリオ博物館となっている。

神童として知られ、3歳で読み書きを覚え、スペインの古典喜劇やホラー小説を朗読していたといわれる。最初の教師たちはあまり有能でなく、ほとんど独学で学んだ。のちにイエズス会の学校や、レオンの西部学院で学び、そこでポーランド出身の文学教師に詩作を励まされた。幼いころ、古い戸棚の奥で見つけた『ドン・キホーテ』『千一夜物語』、聖書などを読みふけった。ごく若いころからフランス語を読み、書くこともできた。受けた学校教育は初歩的で、高い教養は、のちに英語、フランス語、スペイン語で行った膨大な読書によって得たものである。13歳で少年詩人として中米に名を知られ、15歳でニカラグア大統領の秘書を務め、王立図書館に勤めた。

19歳で出国し、雑誌や新聞の特派員記者をしながら、各紙誌で詩や物語を書いた。1888年、チリのバルパライソで詩と散文の集『青』を刊行し、モデルニスモの出発点となって、新しい運動の指導者と認められるようになった。1896年にブエノスアイレスで『俗なる詠謡』を、1905年にマドリードで『命と希望の歌、白鳥たちとその他の詩』を刊行した。26歳でパリへ向かい、特派員として西欧諸国で暮らすなかでモデルニスモ詩人の地位を築き、1907年、40歳で凱旋帰国した。詩人、特派員のほか、数々の公職にも就いた。ラ・プラタ駐在のニカラグア領事、ブエノスアイレス駐在のコロンビア総領事、パリ駐在のニカラグア領事、駐スペインのニカラグア公使、パリ駐在のパラグアイ総領事などを歴任し、祖国の発展と地位の向上に寄与した。詩、散文、短編、評論、小説を数多く残し、リズム感と多様な韻律、フランス語なまりや古語、独自の造語を多用することで知られる。1916年2月6日、レオンで没した。

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