HISTORICAL PERSON · 1916年没

ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ

スペインの劇作家。土木工学者・経済学者・政治家としても活躍し、財務大臣を3期務めた。戯曲『狂か聖か』で劇作家の地位を確立し、1904年にミストラルとともにスペイン人初のノーベル文学賞を受賞した。

生涯
1916年没
死亡地
スペイン王国(マドリード州 / マドリード)
出生地
スペイン王国(マドリード)
出典
世界地図
スペイン王国(マドリード州)

伝記

ホセ・エチェガライは、1832年4月19日にマドリードで生まれたスペインの劇作家である。サラゴサ出身で医者の父と、ナバーラ出身の母との間に生まれ、幼少期をムルシアで過ごした。地元のコレジオで学んだ数学に感銘を受け、数学を愛するようになったとされる。子供のころはホメロスやゲーテ、バルザックを好み、ガウスやルジャンドル、ラグランジュといった数学者の本を読んで過ごした。1848年9月28日、トレドに両親と旅行していた際に弟のミゲルが生まれた。マドリードに戻って土木工学の学位を取り、アルメリアとグラナダに派遣されて教鞭を執った。1854年からは土木技術の高等学校で秘書を務めるかたわら、水理学、図法幾何学、微分法、物理学を教えた。1867年にはフランスの数学者の幾何学をスペインに紹介する数学書『高等幾何学入門』を著した。数学者・物理学者としての業績が評価されて学士院の会員になり、就任演説ではスペインにおける数学の歴史について述べた。スペインにガロア理論、幾何学、楕円関数を紹介し、数学者のレイ・パストールから「スペインの数学は1865年とエチェガライから始まる」と評された。

政治家としても活躍し、1872年12月から翌年2月、1874年1月から5月、1905年7月から12月までの3期にわたって財務大臣を務めた。2期目の1874年には、第三次カルリスタ戦争や第一次キューバ独立戦争で財政が悪化したスペイン銀行に紙幣発行の独占権を与え、これが同行が国立中央銀行として今日まで続くきっかけをつくった。同じ1874年に、ホルヘ・アヤセーカの筆名で『割符帳』を著して作家デビューを果たした。

三度の財務大臣の経歴ののち、政界から退いて本格的に劇作に取り組んだ。1877年の戯曲『狂か聖か』は、自分の財産を正しい持ち主に返そうとして、周囲に狂人扱いされる主人公を描き、劇作家としての地位を確立した。代表作とされる1881年の『大ガレオト』は、思うように書けない作家のエルネストと、庇護者で「第二の父」を自称するドン・フリアン、その若い妻テオドーラをめぐる三角関係が、世間の非難を呼び、家庭が崩壊していく悲劇である。1892年にはデュマ・フィスやイプセンに影響を受けて道徳的な問題を扱った作品を書いた。国民的劇作家として様々な役職を歴任し、王立スペイン語アカデミー会長も務めた。生涯に60編以上の戯曲を残した。

1904年に、「独創的で個性的な手法でスペインの演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して」という業績で、プロヴァンスの作家ミストラルとともにノーベル文学賞を受賞した。スペイン人として初めての受賞だった。この年の賞は少数言語で書く作家に贈られるはずで、カタルーニャ語で書くギマラーが本来選ばれるはずだったが、スペイン中央政府の圧力で困難になり、その代わりに彼が受賞したのだとも言われる。ラモン・イ・カハールの提案で、アカデミーは1907年にエチェガライ・メダルを創設し、第1回の受賞者は彼自身だった。しばしば「ロマン主義最後の劇作家」と評される一方、スペイン文学者の桑名一博は「本質はメロドラマ作家」と説明している。1916年9月4日、生地マドリードで没した。マドリードのエチェガライ通りは、革製品のブランド「ロエベ」の創業地として知られる。

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