伝記
アリアラテス6世(エピファネス・フィロパトル)は、紀元前130年から116年までカッパドキアを治めたアリアラテス朝の王である。アリアラテス5世とニュサの末子であり、治世の終わりを紀元前111年とする説もある。名のアリアラテスはイラン系の古い名のギリシア語形で、「アーリヤ人の喜びをもつ者」を意味する語に由来するかもしれないという。アラム語ではアリオラトまたはアリウラト、のちのラテン語ではアリアラトゥスと記された。
即位したとき王はまだ幼く、母ニュサが摂政として権力を握った。ニュサは王の五人の兄を毒殺したらしい。しかし幼い王は王朝に忠実な人々に救い出され、ニュサは民衆の手で殺された。母の死を口実に、母方の叔父にあたるポントス王ミトリダテス5世エウエルゲテスは、この国への支配を強めようと図った。そして、アリアラテスを自分の長女で、母方のいとこにあたるラオディケと結婚させたとされる。別の伝えでは、アリアラテスはポントス王と戦い、その講和の条件としてラオディケとの結婚が定められたという。ラオディケはまもなく宮廷で大きな力をもつようになった。夫妻には一人の娘と二人の息子が生まれた。娘のニュサはビテュニア王ニコメデス3世エウエルゲテスに嫁ぎ、息子はアリアラテス7世フィロメトルとアリアラテス8世エピファネスである。
しかし、これだけではカッパドキアをポントスの属国にするには足りないと見たのか、ミトリダテス5世の子ミトリダテス6世は、カッパドキアの貴族ゴルディオスを使って王を暗殺させた。ラオディケがその背後にいたらしいとする説もある。王の死後、王国は未亡人によってしばらく治められたが、やがてビテュニア王ニコメデス3世に奪われ、ニコメデスは王の未亡人ラオディケと結婚した。ところがニコメデスはまもなくミトリダテス6世に追われ、ミトリダテスは王の子アリアラテス7世を王位に就けた。
王の貨幣には、ほかのカッパドキア王の多くが用いたヘレニズム風の王冠だけでなく、まれなティアラを合わせた肖像が刻まれている。これはイラン風の王の姿を示すものであった。ただし王冠だけをつけた肖像の貨幣も作り続けられ、ティアラ付きの肖像は主に4ドラクマ貨に用いられた。アルメニア、コンマゲネ、ポントス、おそらくパルティアの有力者や王たちの目に触れることを意識したものとみられる。現代の歴史家マシュー・カネパは2017年に、この二つの型は軍隊、宮廷、対外流通向けの貨幣という場で、二つの文化的背景をともに示すためのものだったと論じている。
同じ年に亡くなった人物
- タルススのゼノン (紀元前200)
- ルキウス・アニキウス・ガッルス (紀元前 200年(推定))
- ガイウス・テレンティウス・ウァロ (紀元前 200年(推定))
- ガイウス・ポピッリウス・ラエナス (紀元前 200年(推定))
- カーラヴェーラ (紀元前 200年(推定))
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