伝記
ガイアは、紀元前3世紀の古代ヌミディア、現在のアルジェリア北東部にいたベルベル系遊牧民の部族連合マッシュリ族の王である。史料によって名前がガラと記されることもあるが、ドゥッガの碑文からはガイアだった可能性が示されている。父はゼラルサン、兄弟にはウルサゼン(オエザルケスとも)がおり、子にはのちにヌミディアを統一するマシニッサがいた。ほかに娘のマシヴァとフェリエルがいたともされる。紀元前260年頃にアイン・フクルーンで生まれたともいわれ、没年は紀元前208年から206年頃とされる。
父から受け継いだ領土は、東をカルタゴ、西をマサエシュリ王国という二つの大勢力に挟まれていた。紀元前240年頃に即位したとされ、そのころは第一次ポエニ戦争(紀元前264年〜241年)でカルタゴの力が弱まっていた。ガイアはこれに乗じてカルタゴが押さえる沿岸の都市の攻略に乗り出した。優れた騎兵を擁する巧みな戦術家で、カルタゴ軍を破り、アンナバ(ヒッポ・レギウス)を都にしたと伝えられる。
紀元前213年から212年にかけて、西の隣国マサエシュリのシュファクスがカルタゴと争うようになると、ガイアはこれに対抗してカルタゴと再び同盟を結んだ。この同盟の転換によって、ヌミディア沿岸のカルタゴ系の都市を手に入れることができたという。第二次ポエニ戦争(紀元前218年〜201年)が始まると、カルタゴ側に立ってローマに対抗し、息子のマシニッサと騎兵をハンニバルの遠征軍への援軍として送ったとされる。息子の武将としての経歴はこの時期に始まった。
ガイアは民に慕われた王で、自然死したとされる。マッシュリの慣習では、王の名がその在位期間の呼び名になった。王位は必ずしも父から子へ渡らず、一族の最年長者が継いだため、ガイアの死後に王となったのは息子ではなく、まず弟のウルサゼンで、続いてカプッサだった。カプッサはガイアのいとことも甥ともいわれる。カプッサの死後にマシニッサが王位への権利を主張した。
ガイアの死後、マッシュリではたびたび王が替わり、西のシュファクスに制圧された。しかしマシニッサがローマの将軍大スキピオに降り、シュファクスがカルタゴ側に寝返ると、ローマ軍がシュファクスを退け、マシニッサが統一ヌミディアの王となった。ガイアはその統一以前の最後のマッシュリ王にあたる。ベルベル語で王を意味する「アゲリド」の称号を最初に用いたのはガイアだったと述べる研究者もいる。
同じ年に亡くなった人物
- ルキウス・リキニウス・ルクッルス (紀元前151年の執政官) (紀元前 200年(推定))
- グナエウス・ナエウィウス (紀元前 200年)
- マルクス・ファビウス・ブテオ (紀元前 200年(推定))
- エウテュデモス2世 (紀元前200)
- マルクス・ウァレリウス・ラエウィヌス (紀元前200年没)