伝記
蜀泮は、甌雒(アウラック)の初代にして唯一の王である。開明泮、ベトナム語でトゥック・フアンとも呼ばれ、安陽王を称した。現在の中国の四川省から渡来したとされる人物で、紀元前257年ごろに文郎国を滅ぼして甌雒を建国し、紅河デルタを中心とする国を治めた。
出自については、古蜀の王子で、古蜀最後の王の子だったと伝えられる。ベトナムの古い史書の多くは、彼を蜀の王子、あるいは蜀王としている。古蜀は紀元前316年に秦に滅ぼされており、その後に流浪を重ねてベトナム北部のデルタ地帯に到達したという。ただし、この出自を疑う歴史家もいる。滅亡から文郎国の征服まで年代が離れすぎていること、四川から千里もの道のりを、森と多くの国々を越えて来られたのかということが、疑問とされた。一方で1950年代には、チャン・ヴァン・ザップとダオ・ズイ・アインが、蜀の出身は事実だと論じた。ほかに、出身地は蜀ではなくさらに遠い土地だったとする見方や、雲南の文化と初期のベトナム人とを結ぶ考古学上の証拠があるという指摘もある。
また、1963年にカオバンのタイー族の口承「九人の首長が王位を争う」が記録された。これによれば、現在のカオバンと広西の一帯には、10のムオンの連合であるナムクオン国があり、王の死後に幼くして位を継いだ彼は、その聡明さで九人の首長を降伏させたという。ナムクオンは次第に強大になり、文郎は弱っていった。やがて彼は文郎を攻めて、紀元前257年ごろに甌雒を建て、安陽王を名乗ったと語られる。ただしこの話には、考古学的な裏づけが見つからず、原本も残っていないため、史料としての信頼性を疑う歴史家もいる。
建国後の安陽王は、タイヴーに古螺(コーロア)と呼ばれる城を築いて拠点とした。名は「古い蝸牛」の意で、城は蝸牛の殻のような渦巻き状だったという。築城をめぐっては金亀の伝説が語られる。工事のたびに、先代の王の子の復讐を望む精霊たちが一夜で壊してしまったが、王の願いに応じて巨大な金色の亀が水中から現れ、城の完成まで王を守った。亀は去るとき爪を一本与え、それを引き金にして弩を作れば無敵になると告げた。この弩の製作を命じられたのが、高魯(カオ・ロー)という人物である。この弩は「霊光金爪神弩」と呼ばれ、一度に300人を殺せたとされる。
その後、紀元前204年に番禺(現在の広州)で趙佗が南越国を建てた。甌雒は南越と並び立つあいだ、漢への対抗の意味から、一時は南越を認めていたとする説もある。やがて安陽王は南越との戦いに敗れた。滅亡の年は、紀元前208年とも紀元前179年ともされる。後者では、戦いのあと逃れて自ら命を絶ったと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- 李斯 (紀元前208年没)
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前208年没)
- 陳勝 (紀元前208年没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。