HISTORICAL PERSON · 1909年没

ジョージ・メレディス

19世紀イギリスの小説家。妻の駆け落ちの体験をもとに『リチャード・フェヴェレルの試練』を書いて成功し、代表作『エゴイスト』ではウィットあふれる心理喜劇を描いた。夏目漱石の『虞美人草』にも影響を与えた。

生涯
1909年没
死亡地
イギリス連邦(サリー / ドーキング)
出生地
イギリス連邦(ポーツマス)
出典
世界地図
イギリス連邦(サリー)

伝記

ジョージ・メレディスは、1828年2月12日に、イングランド南岸のポーツマスで生まれた19世紀イギリスの小説家、詩人である。父オーガスタスは、祖父と同じく海軍向けの装備を扱う商人で、母ジェイン・イライザの一人息子だった。メレディスという姓はウェールズ系で、彼は自分を、母方ではアイルランド、父方ではウェールズの血を引く「半分アイルランド人で半分ウェールズ人」と称し、ウェールズの出自を誇りにした。母が彼の5歳のときに亡くなり、父の事業も破産して、父はロンドンに移り、1839年に家の元家政婦と再婚した。1840年に母方の叔母の遺産で、サフォーク州の寄宿学校に通うことができ、1842年8月にはドイツのノイヴィートにあるモラヴィア派の学校に入り、1844年の春までそこで過ごした。伝記作家は、この経験が、虚飾や卑屈さへのいらだちや、勇気への賛美、率直で理性的な態度を植えつけたと論じる。

1846年2月に事務弁護士のもとで見習いになったが、法律の道を捨て、ジャーナリズムと詩に向かった。文学サークルに引かれ、トマス・ラヴ・ピーコックの息子と回覧雑誌を出し、その同人の一人で、ピーコックの娘メアリーと知り合った。メアリーは、海軍士官の未亡人で、馬を乗りこなす華やかな女性として目を引いた。1849年、21歳のとき、30歳のメアリーと結婚したが、その9年後に妻は画家と駆け落ちしてしまう。この体験をもとに『リチャード・フェヴェレルの試練』(1859年)を書き、小説家として成功した。この作品は、一時ヴィクトリア朝の文壇を騒がせた。1864年、36歳のときにマリーと再婚してサリー州のボックスヒルに転居し、幸福な家庭生活を送ったが、晩年は多病のうえ、聴覚の衰えに悩まされた。

最初は詩に力を注ぎ、1851年に最初の『詩集』を刊行した。キーツらの影響を受けていたが、次第に小説家としての評価を確立した。代表作は1879年に発表された『エゴイスト』で、絢爛たるヴィクトリア朝式の文体を駆使して、ウィットあふれる心理喜劇風の作品を多く残した。生前に最大の成功を収めたのは、1885年の『十字路のダイアナ』である。人物の心理に注意を払い、社会の変化も描いた点が革新的だったとされる。文体は、詩でも散文でも構文の複雑さで知られ、オスカー・ワイルドは、これを「まばゆい稲妻に照らされた混沌」にたとえた。ほかの作品に、『シャグパットの毛剃り』(1856年)、『ファリーナ』(1857年)、『ローダ・フレミング』(1865年)、『ヴィットーリア』(1867年)、『ハリー・リッチモンドの冒険』(1871年)、『ビーチャムの生涯』(1875年)などがあり、詩集には『現代の愛』(1862年)、『大地の喜びの詩と抒情詩』(1883年)がある。1877年には『喜劇論』を著した。スティーヴンソンやギッシングなどの作家を励まし、影響も与えた。ノーベル文学賞の候補に7回挙げられている。

日本では、早くから坪内逍遙や夏目漱石が紹介し、『エゴイスト』は平田禿木、朱牟田夏雄らの訳で読まれてきた。とくに初期の漱石の『虞美人草』などに深い影響を与えた。1909年5月18日に没した。

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