伝記
ミルザ・グラーム・アハマドは、1835年2月13日にパンジャーブ地方のカーディアーンで生まれ、1908年5月26日にラホールで没したインドの宗教指導者で、アハマディアの創始者である。神によってメシア並びにマフディーとしての任務を与えられたと主張し、末期時代に出現する改革者であり、イエスの再臨であると述べた。先祖はムガールのバルラス部族のミルザ・ハーディ・ベーグにさかのぼる。ミルザ・ハーディは1530年に、家族、使用人、追従者200人を伴ってサマルカンドから移住し、パンジャーブに居を定めて、今日カーディアーンとして知られる町をつくったとされる。数百の村のジャギルを与えられ、周辺地域のカーディーに任命され、子孫は帝国の中で重要な地位を占めてカーディアーンの首長であり続けたといわれる。
アハマドは、スィク王国のマハラジャ・ランジート・シングの時代に、裕福なムガールの一家に双子で生まれたが、生き残ったのは彼だけだった。クルアーン、アラビア語の基礎文法、ペルシャ語を教師のファジレ・イラーヒーから学び、10歳になるとファズル・アハマドという教師に、17、8歳のころにはグル・アリー・シャーという教師に学んだ。医師であった父ミルザ・グラーム・ムルタザから、医学の仕事のいくつかも学んだ。1864年から1868年まで、父の希望でシアールコートで書記として働き、そこでキリスト教宣教師と接触して頻繁に議論を交わした。1868年以降は父に従ってカーディアーンに戻り、地所の管理を任された。この間に宗教的な書を勉強し、地元のモスクで祈ったが、ほとんどの時間を隠退して過ごしたため、社会的世捨て人として知られていた。やがてキリスト教宣教師の批判からイスラームを擁護するために活動し始め、バタラに本拠を置く宣教師たちと公開論争をした。
1886年、アーリヤ・サマージの指導者たちとイスラームの真実性をめぐって討論を重ね、イスラームが生きた宗教であることを示す徴を求められた。アハマドはこのために特別な祈りを捧げ、ホシヤールプルへと旅をして、40日間独居し、チッラ・ナシニーというスーフィズムの行法を実践した。この間、改革者としての役割を果たす子を授かるという預言も受けたと主張した。1882年に改革者として神の任命を受けたと主張していたが、まだ信奉者からの忠誠の誓い(バイア)は受けていなかった。1888年12月、神が信奉者に自分との間でバイアを行うよう定めたと発表し、1889年1月に小冊子を発行して、入信者が今後いかに生きるべきかの十か条を示した。1889年3月23日、ルディヤーナで四十人の信者からバイアを受け、アハマディア共同体が設立された。
自らを約束されたメシアでありマフディーであると宣言し、イエスの死に関する伝統的な信念に反して、イエスは十字架刑から生還して自然死したと主張した。90冊以上の本を著し、合理的な論証を通して、他の宗教に対するイスラームの優勢を確立しようとした。イスラームが平和的な教えであるとし、現世では軍事的なジハードは許されないと強調した。パンジャーブを旅して思想を広めたが、イスラーム聖職者の敵意も受け、キリスト教の宣教師、イスラーム学者、ヒンドゥー復興論者との公開討論でも知られる。亡くなった1908年までに、推定40万人が彼の団体に所属していた。死後は、モールウィ・ヌールッディーンが「メシアの後継者」の称号を受け、活動を続けた。ムハンマドを最終の預言者とする主流のイスラーム教徒との間では、論争が続いている。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・テイラー (陸上選手) (1908年没)
- フリードリヒ・トラウン (1908年没)
- ギャレット・サーヴィス (1908年没)
- ヨナス・リー (1908年没)
- ムスタファー・カーミル (1908年没)
同じ地域に関係する人物
- アムリタ・シェール=ギル (1941年没)
- ベーナズィール・ブットー (2007年没)
- ファザル・イラーヒー・チョードリー (1982年没)
- ムハンマド・ジア=ウル=ハク (1988年没)
- ヌールル・アミーン (1974年没)