HISTORICAL PERSON · 紀元前1500没

Ulamburiash

カッシート人で、16世紀後半に海の国を征服してその王となり、バビロン王も兼ねた可能性がある。彼の代にカッシートの支配が南メソポタミア全域に及んだ。

生涯
紀元前1500没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ウラム・ブリアシュは、カッシート朝に属する人物で、「海の国」の王となり、バビロンの王にもなった可能性がある。名は「カッシートの神ブリアシュの子」を意味し、のちの年代記ではウ・ラム・ブル・アシュなどと綴られる。ブルナ・ブリアシュ1世の子で、カシュティリアシュ3世の兄弟にあたる。在位の時期は、紀元前16世紀後半とも、15世紀前半ともされ、幅がある。彼の時代は、カッシート王国が南メソポタミア全域に広がった節目と位置づけられる。

出自を裏づけるのは、アルメニアのメツァモール遺跡で、二人を葬った大きな墓から出土した、カエルの形をしたオニキスの重りである。楔形文字で「1シェケル、ウラム・ブリアシュ、ブルナ・ブリアシュの子」と刻まれている。この墓には、50人の犠牲者と19頭の馬、牛、羊、犬が供えられていた。メツァモールはアララト平原の中央にあり、フルリ人の重要な金属加工の中心地だった。

「古王年代記」はその征服を伝える。海の国の最後の王エア・ガミルは、「カシュティリアシュの兄弟」ウラム・ブリアシュが率いる軍勢が迫るなか、エラムへ逃れ、ウラム・ブリアシュは軍を集めて海の国を征服し、その国の「主」となった。年代記に欠損があるため、エア・ガミルが逃れた経緯は明らかでなく、バビロンとの衝突の結果とする見方が最も有力である。別の説明では、エア・ガミルがエラムとカッシートに対して遠征を起こしたところ、エラムとカッシートが彼の領土を侵略し、帰国したエア・ガミルはカッシートに敗れ、ウラム・ブリアシュが王位に就けられたと語る。

バビロンでは、メイスの頭、あるいは扉の取っ手かもしれない蛇紋岩か閃緑岩の品が見つかり、「海の国の王」としてウラ・ブラリアシュの称号が刻まれている。1899年から1912年のドイツによるバビロン発掘で、テル・アムラン・イブン・アリから出土し、現在はペルガモン博物館にある。バビロンの王であったかどうかは、はっきりした証拠がないものの重要な役割を担ったらしいとされ、兄の前に王だったとも、後に王位を継いだとも見方が分かれる。後者の説では、海の国の征服が前1480年から前1460年のあいだ、兄の死がその約10年後で、その後にバビロンの王座に就いたとされ、没したのは前1465年より前だという。

継承では、カシュティリアシュの子アグム3世が王となり、海の国への新たな遠征を行ったと年代記は伝える。そのため、ウラム・ブリアシュの征服は支配を確かにするには足りなかったか、彼またはその後継者のもとで反乱が起きたと考えられる。後継者は甥のアグム3世とされる。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。