HISTORICAL PERSON · 1898年没

イヴァン・シーシキン

ロシアの風景画家。移動派の一員として活動し、精緻な描写でロシアの森林の四季を描いた。長く芸術アカデミーで教授を務めた。

生涯
1898年没
死亡地
ロシア連邦(サンクトペテルブルク)
出生地
ロシア連邦(エラブガ)
出典
世界地図
ロシア連邦(サンクトペテルブルク)

伝記

イヴァン・イヴァノヴィチ・シーシキンは、1832年1月25日にヴャトカ県のエラブガの町、現在のタタールスタン共和国内で生まれた、風景画で知られるロシアの画家である。エラブガの商人の家の出身で、父イヴァン・ヴァシリエヴィチは穀物商であった。祖父ヴァシリー・アファナシエヴィチは宮廷農民で、1792年にエラブガで第三ギルドの商人として登録した人物である。12歳でカザンの第一男子ギムナジウムに入学し、5年学んだあとエラブガに戻って4年間を過ごした。1852年にモスクワ絵画・彫刻・建築学校に入学し、1856年まで4年間学び、その後サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーに1857年から1860年まで在籍した。そこで風景画家のソクラート・ヴォロビヨフ教授に学んだ。

アカデミーでは、同級生のアレクサンドル・ギーネ、パーヴェル・ヨーギンと親しくなり、1857年にはフィンランド湾岸のドゥブキで共同して制作した。その後も三人でラドガ湖のヴァラーム島の修道院を訪ねて旅した。アカデミー流の授業には飽き足らず、サンクトペテルブルク近郊やヴァラームでのスケッチに励み、こうした旅が、自然を筆と鉛筆で正確に描く技量を磨かせた。最初の年に二つの小銀メダルを受け、1858年に『ヴァラームの松』の習作で大銀メダルを、1859年に小金メダルを得た。最終年度の1860年には大金メダルを得て首席で卒業し、その褒賞としてヨーロッパでの絵画研究のための奨学金を与えられた。

1861年にドイツのミュンヘンへ行き、動物画で知られたアダム兄弟のアトリエを訪ねた。1863年にチューリッヒに移り、ルドルフ・コッラーの指導のもと、動物を実物から写生し、このときに初めて王水を使うエッチングを試みた。ジュネーヴではディデーやカラムの作品を研究し、1864年から1865年にはデュッセルドルフの美術アカデミーに通った。この間に描いた『デュッセルドルフ近郊の眺め』によって、帝国芸術アカデミーのアカデミー会員の称号を得た。ペン画にも精を出し、外国の観衆を感心させ、いくつかの作品はデュッセルドルフ美術館で、アヒェンバッハやレッシングらの作品と並べて展示された。

故郷を恋しく思い、奨学金の期間が終わる前の1866年にサンクトペテルブルクへ戻った。1868年、『松林』などでアカデミーから教授の称号を与えられるはずだったが、総裁の大公妃マリア・ニコラエヴナは、代わりに聖スタニスラフ勲章三等を授けた。1870年に移動派の芸術家サークルとロシア・エッチング協会の会員になり、移動派の展覧会にもペン画を出品した。1873年からはアカデミーの絵画の教授となり、死没する1898年までその職にあり、サンクトペテルブルクの高等芸術学校の風景画クラスも担当した。パリ万博やウィーン万博にも出展した。

ロシアの森林の四季を描いた彼の絵画は、自然に対する分析的研究に基づく精緻なもので、詩的で細密な風景、崇高で荒々しい木々や自然、森の光や小川、野生の動物や鳥類を描いて、今日もロシアで非常に人気が高い。サンクトペテルブルクの南に別荘を構え、代表作のいくつかがここで制作された。製図家、版画家としても傑出していた。1898年3月20日、サンクトペテルブルクで、絵画の制作中に死去した。

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