伝記
アデライード・ド・ヴェルマンドワは、1060年代前半かそれ以前に生まれ、1120年から1125年ごろに没したヴェルマンドワ女伯である。ヴァロワ女伯でもあり、ヴェルマンドワ伯位を保ったカロリング家の最後の子孫とされる。父はヴェルマンドワ伯エルベール4世、母はアデライード・ド・ヴァロワである。
母の兄弟にあたるヴァロワ伯シモンは、1075年から国王フィリップ1世に所領を奪われはじめ、二年ほど抵抗したが、1077年にヴェクサンを失って和を請い、修道生活に入った。ヴァロワは妹のアデライードとその夫エルベール4世に託された。エルベール4世は1080年に没し、息子でアデライードの兄弟にあたるウードが継いだが、愚かな人と呼ばれたという。ウードが退けられたのち、アデライードが跡を継ぎ、伯領を夫への婚資とした。
夫はフランス王アンリ1世の子で、フィリップ1世の弟のユーグ(大ユーグ)である。ユーグはアデライードの父の死後にヴェルマンドワ伯となった。二人の間にはマティルド、ベアトリス、エリザベート、ラウル1世、コンスタンス、アニェス、アンリ、シモン、ギヨームが生まれた。エリザベートは初代レスター伯ロバート・ド・ボーモントと結婚し、のちに第2代サリー伯ウィリアム・ド・ワーレンと再婚した。シモンはノワイヨン司教となり、アンリはトマ・ド・マルルとの戦闘で戦死した。
1096年、ユーグは第1回十字軍に加わり、フランス勢を率いて聖地へ向かった。アンティオキア攻囲では勇敢に戦ったが、1098年にコンスタンティノープルへ援軍を求めに送られ、断られると、アンティオキアには戻らずフランスへ帰ったという。1101年に再び軍を組織して出発したが、その隊列はキリジ・アルスラーンの待ち伏せに遭って壊滅し、ユーグは傷を負い、キリキアのタルソスで8月18日に没した。
夫の死後、アデライードはクレルモン伯ルノー2世と再婚し、娘マルグリットを産んだ。1102年に伯位を息子ラウル1世に譲ったとされる。1114年には息子たちとともにコンピエーニュのサン=コルネイユ修道院に寄進を行った。1117年には国王ルイ6世から、叔父シモンが奪われていたアミアン伯領を返されたという。没年は1120年とも、1122年や1125年ごろともいわれる。娘マルグリットはクレルモン女伯となり、フランドル伯シャルル1世、のちサン=ポル伯ユーグ2世、さらにボードゥアン・ダンクルと結婚を重ねた。
同じ年に亡くなった人物
- ソルフィン・ソルザルソン (1020年)
- オースタ・グドブランズドーテル (1020年没)
- マヌエル・エロティコス・コムネノス (1020年没)
- 清少納言 (1020年代没)
- アルキテクトのトルダト (1020年没)
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