伝記
エルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンスは、1816年12月13日にハノーファー近郊のレンテ(現在のゲールデンの一部)で生まれ、1892年12月6日にベルリンで没したドイツの電気工学者・発明家・実業家である。SI単位のジーメンスに名を残し、電機・通信の大手企業の創業者でもある。小作農家の14人きょうだいの4番目で、きょうだいには発明家として知られた人物が他にもいた。区別のため、ヴェルナーは「ベルリン、または電気のジーメンス」、平炉を研究した弟ヴィルヘルムは「ロンドン、または鉄のジーメンス」、ガラス用の炉を研究した弟フリードリヒは「ドレスデン、またはガラスのジーメンス」と呼ばれることがある。ゴスラーの古い家柄の出で、1823年に一家がメクレンブルクに移ってからは、領地の経営が振るわなかった。最初の教育は祖母と父から受け、リューベックの学校に3年通ったが、親の経済状況のため、1834年に卒業試験を受けずに学校を去った。母が亡くなり、続いて父も世を去って、長男のヴェルナーはきょうだいの面倒を見る立場になった。
技術に関わる仕事を望んでいたヴェルナーは、測地学の教授の助言に従い、軍の工兵将校の試験を受けようとしたが、年齢を理由に退けられ、砲兵の試験を勧められた。1835年の秋から3年間、ベルリンの砲兵・工兵学校で、幾何学、化学、物理学、弾道学などを学び、1838年に砲兵少尉となった。決闘の立会人となったために、5年間の要塞禁錮の刑を受けたが、牢をみずから実験室に改造する許可を得て、銅の電気めっき法を発展させ、金めっきや銀めっきの工程を開発した。1842年に恩赦を受けてベルリンの砲兵工廠に戻った。1843年には、ガタパーチャで銅線を被覆する機械を考案した。技術将校として電磁式指針電信機(モールス符号を使わず、針で文字盤の文字を指して電文を伝える装置)を発明し、地下ケーブルも開発した。
軍の求めで、1847年にベルリンとグロースベーレンの間に地下ケーブルを敷設し、その成果を受けて、同年10月に機械工ヨハン・ゲオルク・ハルスケとともにジーメンス・ウント・ハルスケを創業した。会社は従兄弟から出された約6800ターレルを資本とし、電信線の建設に取りかかった。1848年の第一次シュレースヴィヒ戦争では、キールの港を守るために遠隔操作の水雷を使ったとされる。創業から間もなく海外にも進出し、兄弟にイングランドやサンクトペテルブルクの支社を任せて、それぞれを独立採算とした。1850年代後半には、新型の炉の開発がうまくいかず資金難になった弟ヴィルヘルムとフリードリヒを援助した。1852年にマティルデ・ドゥマンと結婚し、1867年に死別した。1869年には親戚のアントーニエと結婚し、前妻との間に2人の息子、後妻との間に娘と息子を1人ずつもうけた。
1866年には自励式の発電機(ダイナモ)を発明した。1879年には電気機関車を実用化し、1880年に世界初の電気式エレベーターを開発した。トロリーバスの生みの親ともされ、ドイツにおける電気工学の父と呼ばれる。1888年に叙爵され、ヴェルナー・フォン・ジーメンスを名乗るようになった。1890年に引退し、1892年にベルリンで死去した。
同じ年に亡くなった人物
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