HISTORICAL PERSON · 996年没

ヘルマン1世 (ロートリンゲン宮中伯)

エッツォ家出身で、痩身伯と呼ばれたロートリンゲン宮中伯(在位989〜996年)。ボンガウやアイフェルガウなどライン川沿いの多くの伯領を所有した。息子エッツォはオットー2世の娘マティルデと結婚した。

生涯
996年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ヘルマン1世は、10世紀のロートリンゲンで宮中伯を務めた人物である。エッツォ家の出身で、生年は分からず、996年に没した。痩身伯(プシルス)と呼ばれた。ツュルピッヒガウ伯エレンフリート2世と、リヒヴァラの息子として生まれた。

宮中伯としての在位は、989年から996年までとされる。一方で、945年から死去するまでロートリンゲンの宮中伯であったとする記述もあり、在位の始まりについては一致していない。文書にはまず959年に「宮中伯ヘリンベルトゥス」の名で現れる。945年と948年にアウエルガウの伯として見える同名の人物や、955年のレヒフェルトの戦いに加わった伯と同一かどうかは、疑わしいとされる。それでも993年にはオットー3世がクヴェトリンブルクの教会に与えた文書に、996年5月24日付の教皇グレゴリウス5世の文書に、宮中伯として名が見える。その治世にブラウヴァイラー修道院の創建が行われた。

ヘルマンはライン川沿いに多くの伯領を持っていた。ボンガウ(970年、992年、993年)、アイフェルガウ(975年と978年)、ツュルピッヒガウ(981年)、アウエルガウ(996年)の各伯として確認され、977年にはゲルレスハイム伯としても見える。ほかにミーブルガウ、ケルダッハガウ、アルツァイなどの伯領も挙げられている。

結婚については、最初にアウクスブルク司教ウルリヒの親族ハイルヴィヒ(ディリンゲン家の出とされる)を妻に迎え、のちにシュヴァーベンのディートビルクと再婚したとされる。四男一女を残した。長男エッツォは955年頃に生まれ、1034年に没した。アウエルガウ伯、ボンガウ伯を務めたのち、父の跡を継いでロートリンゲン宮中伯となり、991年6月15日以前に皇帝オットー2世の娘マティルデと結婚した。次男ヘツェリン1世はツュルピッヒガウ伯で、1033年11月20日に没し、ケルンテン公コンラート1世の娘と結婚したと考えられている。三男ヘルマン2世はケルダッハガウの伯でデウツの守護者を務め、1040年に没した。四男アドルフ1世もケルダッハガウ伯としてデウツの守護者となり、1008年から1018年までその地位にあった。娘リヒェンツァはニヴェル女子修道院の院長となった。

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