HISTORICAL PERSON · 紀元前300没

Menedemus the Cynic

前3世紀の犬儒派の哲学者で、エピクロス派のコロテスの弟子だったとされる。復讐の女神の姿で冥府から悪事を調べに来たと触れ歩いたと伝わるが、この逸話はメニッポスの風刺に由来するとの説もある。

生涯
紀元前300没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

犬儒派のメネデモスは、紀元前3世紀ごろに活動したキュニコス派(犬儒派)の哲学者である。ランプサコスのメネデモスとも呼ばれ、前320年ごろから前268年の人ともいわれるが、確かな生涯の記録は乏しい。ディオゲネス・ラエルティオスが彼に割いた伝記は、哲学者列伝の中でも特に短いものの一つで、キュニコス派を扱う第6巻に、わずか一段落で収められている。

その伝記によれば、メネデモスはまずランプサコスのコロテスの弟子であった。コロテスはエピクロス派の人物である。ただしコロテスだけが師ではなかったらしく、列伝の少し前の箇所では、エペソスのエケクレスの弟子ともされている。メネデモスはこうして、テバイのクラテスにさかのぼるキュニコス派の系譜に連なる。エケクレスはクレオメネスとテオンブロトスの弟子だったという。

ヒッポボトスの伝える逸話は、伝記のほぼ全部を占める。メネデモスは復讐の女神の装いをして、自分はハデスから来て、悪事を働く者すべてを見届け、再び下って、その地の神々に報告するのだと触れ回った。服装は、足まで届く暗い色の長衣、腰には紫の帯、頭にはアルカディア風の帽子で、そこには黄道十二宮が刺繍されていた。足には悲劇役者の靴をはき、並外れて長いひげを蓄え、手にはトネリコの杖を持っていたという。

だが、この逸話の正確さには疑問がある。ヴィルヘルム・クレーネルトは、この話が実際にはメニッポスの風刺の一つ(死者の国を扱う作品)に由来すると論じた。ルキアノスの対話篇にも似た話が見られ、それはメニッポスに基づくという。写字生が略号を取り違えたとする説明もある。こうなると、ディオゲネスが伝える確かな事実は、二人の師の名くらいだとも評される。

コロテスの弟子だったという点は、おそらく事実である。ヘルクラネウムのパピルスの断片は、コロテスの著作が詩の意味を問い、無益な詩を認めない立場から、ゼノンの『国家』と「メネデモス」の主張をたびたび批判していることを示す。クレーネルトはこれをキュニコス派のメネデモスと見た。エピクロス派の教えを受けた彼が、のちにキュニコス派へ移ったことになる。この推定は広く受け入れられたが、ビアンカ・コンコリーノ・マンチーニは、これをエレトリアのメネデモスだと論じた。しかしガブリエーレ・ジャンナントーニは、エレトリアのメネデモスは口頭の教えしか行わなかったので、コロテスが書かれていない典拠に言及したとは考えにくいと反論した。

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