HISTORICAL PERSON · 1891年没

ニコラウス・オットー

ドイツの発明家。ピストン室で直接燃料を効率よく燃焼させる初の内燃機関を発明した。4ストロークの概念は今も「オットーサイクル」の名で残る。

生涯
1891年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ノルトライン=ヴェストファーレン州 / ケルン)
出生地
ドイツ連邦共和国(ホルツハウゼン・アン・デア・ハイデ)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ノルトライン=ヴェストファーレン州)

伝記

ニコラウス・アウグスト・オットーは、1832年6月10日、ナッサウ公国のホルツハウゼン(現ラインラント=プファルツ州)で生まれたドイツの発明家である。ピストン室で燃料を直接効率的に燃焼させる、実用的な4ストローク内燃機関を初めて完成させ、その概念は今も「オットーサイクル」の名で残っている。宿屋と農家を営む家の6人きょうだいの末っ子で、父は彼が生まれた年に亡くなった。初等教育を受けたのち、1848年、16歳のときに学校を離れて生活のため食料品店で働き始めた。ナステッテンの商店で3年間の見習いをし、その後フランクフルトで農産物の外交員を務め、ケルンに移った。ケルンには兄ヴィルヘルムが住んでおり、のちの妻アンナ・ゴッシとも出会った。二人の間には7人の子が生まれ、息子のグスタフは1917年にBMWの共同創業者となった。

1860年代初めまでは、コーヒー、茶、米、砂糖といった植民地物産の外交員として働く一方、内燃機関に関心を寄せた。1859年にエティエンヌ・ルノワールの石炭ガス燃焼機関を見たことが契機となり、1861年にはルノワールの設計をもとにした機関を試作した。しかし技術的な困難にぶつかり、試作の域を出なかった。1862年に研究に専念する決意を固め、1864年初めには、製糖業者の息子で技師のオイゲン・ランゲンと共同で、ケルンに内燃機関の製造会社N.A.オットー商会を設立した。この会社は後にドイツ社の名で今日まで続き、世界最古の内燃機関製造会社といわれる。ランゲンが初期の成果に関心を示し、資金面が強まったことで、研究を進められた。

1867年のパリ万国博覧会に出品した2サイクルの大気圧式機関は、ルノワールの機関に着想を得ながら性能がはるかに優れ、小企業向けの経済的な動力機械として金賞を受けた。この機関の生産は1868年に始まり、ドイツのほか英国、オーストリア、ベルギー、フランスなどでも許諾生産されて大きな商業的成功を収めた。1872年には、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハがしばらく会社に加わり、4ストローク・サイクルの概念を練り上げ、それは1876年に文書化された。1877年にオットーは「オットーサイクル」で特許を取得し、1878年の万国博覧会に出品した水平ピストンの機関は、従来より規則正しく静かで、大成功を収めた。1882年にはヴュルツブルク大学哲学部から名誉博士号を授与された。

1884年にはふたたび設計を革新した。それまで内燃機関は石炭ガスを燃料にして建物内に固定して使われ、点火には種火が必要だったが、低圧電磁点火装置の導入で液体燃料が使え、移動する物体への搭載が可能になった。ただしオットー自身は、機関を固定式の原動機としてのみ販売した。1886年に競合社が特許に異議を申し立てた。ボー・ド・ロシャスが4ストロークを提案したパンフレットが先に存在するというもので、オットーの特許は無効となったが、そのころには彼の機関は広く使われる唯一のものになっていた。オットーは1891年1月26日にケルンで死去した。ダイムラーとマイバッハは1890年に会社を去り、小型で高速の機関をつくる会社を設立した。のちにそれがダイムラー・ベンツ、現在のメルセデス・ベンツにつながっていく。

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