HISTORICAL PERSON · 1891年没

ヴィルヘルム・ヴェーバー

ドイツの物理学者。電磁気の精密な測定器具を作り、ガウスと電磁気の単位系統一に努めた。磁束のSI単位「ウェーバ」に名を残し、電気が荷電粒子の流れだと最初に主張した。

生涯
1891年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州 / ゲッティンゲン)
出生地
ドイツ連邦共和国(ヴィッテンベルク)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州)

伝記

ヴィルヘルム・エドゥアルト・ヴェーバーは、1804年10月24日にヴィッテンベルクで生まれ、1891年6月23日にゲッティンゲンで没したドイツの物理学者である。電気や磁気の精密な測定器具を製作して電磁気学の形成に貢献し、ガウスとともに電磁気の単位系の統一に努めて、磁束のSI単位「ウェーバ」に名を残している。電気が荷電粒子の流れであると最初に主張した人物でもある。ヴィッテンベルク大学の神学教授ミヒャエル・ヴェーバーの子で、父は13人の子をもうけたが、成人したのは娘一人と息子四人だった。兄に解剖学者・生理学者のエルンスト・ハインリヒ、弟に解剖学者のエドゥアルトがいる。1814年にプロイセンの攻撃で一家の家が破壊され、大学も閉鎖されたため、一家はハレに転居し、父はハレ大学の神学教授となった。

1822年にハレ大学に入り、自然哲学を学んでシュヴァイガーに師事した。はじめは音響学を専攻し、兄エルンストと共同で、液体の流れや水や音の波の実験を行い、1825年に『実験に基づく波動論』を発表して、二人の名が学界に知られた。1826年の博士論文と1827年の教授資格論文は、リードオルガンの音響を扱っていた。1828年にハレ大学の員外教授となり、同年9月にベルリンで開かれた学会の際、フンボルトの紹介でガウスと知り合った。ガウスはその才能を見抜き、推薦して、1831年にゲッティンゲン大学の物理学教授となった。

ゲッティンゲンでは、ガウスと共同で地磁気の研究に着手した。1833年に地磁気観測所を設け、みずから開発した精密な磁気計を用いて、1836年から1841年まで国際的な地磁気観測を行い、世界最初の磁気地図を発表した。観測所とガウスのいる天文台との間には、商業的には使われなかったが、世界初の実用的な電信装置を設置した。ガウスは磁気の単位を質量・時間・長さの基本単位で表す単位系を作っており、ヴェーバーはこれに電気の単位を加えて定義した。ヘルムホルツが発明した検流計を改良して電流力計を製作し、コイルの回転によって電流や電圧を測定した。この測定結果をもとに、電気を正負に帯電した粒子の流れと考えて、荷電粒子に働く力の式、いわゆる「ヴェーバーの法則」を提出した。しかしエネルギー保存の法則を満たすかが不明で、ヘルムホルツと長い論争になった。

1837年、新ハノーファー王エルンスト・アウグストによる憲法停止に抗議し、グリム兄弟らとともに失職した(ゲッティンゲン七教授事件)。その後もしばらくゲッティンゲンに留まって研究を続けたが、1843年にライプツィヒ大学の物理学教授に迎えられ、1849年にゲッティンゲン大学に復職して、天文台長も兼ねた。1855年にコールラウシュとともに、電磁単位系と静電単位系の比を測定して、その値が光速に極めて近いことを見出し、1856年の論文に記した。ヴェーバー自身は光速との関係に言及しなかったが、のちにマクスウェルの電磁気学理論の重要な伏線であることが明らかになった。1852年には反磁性を、分子電流のモデルで説明した。1859年にコプリ・メダルを受けている。その電磁気学は遠隔作用の立場に立ち、ファラデーやマクスウェルの近接作用的な理論に取って代わられたが、精密な測定と客観的な単位の定義は、電磁気学の発展に大きな影響を与えた。

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