伝記
アルシノエ(マケドニアのアルシノエ)は、紀元前4世紀のマケドニアの貴族の女性で、のちにプトレマイオス朝エジプトの王となるプトレマイオス1世ソテルの母である。確かな生涯の記録はほとんど残っておらず、その経歴の多くは息子の出自や幼少期をめぐる議論のなかで語られてきた。夫は、上マケドニアのエオルダイア出身の貴族ラゴスとされる。
出自については、いくつかの説がある。サテュロスによれば、父はメレアグロスという名で、アルシノエはマケドニア王家アルゲアス朝の傍系に属したという。系譜をたどると、メレアグロスはアミュンタス3世の従兄弟で、バラクロスの子、そのバラクロスはアミュンタスの子、さらにその父はアレクサンドロス1世とされる。一方、リンケスティス地方の名門の出であり、王家と縁続きだったとする説もある。ほかに、彼女の家系をディオニュソスとアルタイアにさかのぼらせる説も古くから伝わる。
プトレマイオスの父をめぐっては、古代からよく知られた話がある。アルシノエはもとはフィリッポス2世の側室で、身ごもったままラゴスに与えられたというものである。クルティウスはプトレマイオスを「フィリッポスの側室の子」と述べ、パウサニアスもフィリッポスが妊娠中のアルシノエをラゴスに嫁がせたと伝える。アイリアノスは、フィリッポスの名を挙げずに別の話を記した。アルシノエがラゴスを裏切って子を産み、ラゴスが赤子を青銅の楯の上に置くと、ゼウスの鷲が舞い降りて子を守り、自らの血で養ったというのである。ただし、この話は後世の作り話と見られている。ウィルケンは、プトレマイオスが王となったため、のちにマケドニア王家との血縁を示す必要が生じ、こうした伝説が生まれたと考えた。ターンも古代の説の根拠の薄さを指摘している。このような噂は、ディアドコイ戦争の初期に、アレクサンドロス大王の「兄弟」としての権力主張を正当化する意図から広まった、というのが最も一般的な見方である。この説に従えば、プトレマイオス家はフィリッポスやアルゲアス朝の神話上の祖先を通じて、ヘラクレスや神々の子孫になる。アレクサンドロスの伝記の底本となったプトレマイオスの回想録を用いたアッリアノスが、彼をもっぱらラゴスの子とだけ呼んでいる点も論拠とされる。マケドニアでは一夫多妻が普通だったため、王家の血を引くアルシノエがフィリッポスの妻の一人となった可能性もあるとの指摘もある。なお、ニコラス・コリンズはアルシノエが婚外でプトレマイオスを産んだと論じたが、この仮説は疑わしく、学界の支持を得ていない。
プトレマイオスの生年も定まらない。ルキアノスは彼が84歳で没したと述べ、これに従えば誕生は紀元前367年から前366年ごろになる。アレクサンドロスと同年代の幼なじみだったとする研究者もいる一方で、ヘッケルは根拠がないと退け、ルキアノスの数字を支持して、プトレマイオスはアレクサンドロスより10~11歳年上だったとみている。
アルシノエの子としては、プトレマイオスの兄弟メネラオスもいたと考えられる。キプロス遠征艦隊の提督を務めた人物で、プトレマイオスの存命中に書かれたパピルスでは「ラゴスの子」と呼ばれている。ディオドロスとユスティヌスは彼をプトレマイオスの実の兄弟とするが、アルシノエの次男なのか、ラゴスと別の女性の子なのかは分かっていない。もう一人の兄弟メレアグロスは、プトレマイオス・ケラウノスの後を継いで、ガリア人のギリシア侵入のころに短期間マケドニア王となったとされる。ただしエウセビオスは、彼をケラウノスの兄弟としている。
同じ年に亡くなった人物
- Mithridates II of Cius (紀元前301)
- ラゴス (紀元前301)
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス (紀元前 301年(推定))
- Glaucias of Taulanti (紀元前301)
- Abdalonymus (紀元前301)
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