伝記
フレデルナ(885年または887年頃-917年)は、西フランク王シャルル3世(単純王)の最初の王妃である。フレデリュンヌ、フレデロンヌなどとも呼ばれ、ドイツ語ではフレデルナ、古い形ではフリダルンと記される。
出自には諸説がある。ヴェストファーレン伯ディートリヒとギーゼラ・フォン・ロートリンゲンの娘で、ドイツ王ハインリヒ1世の王妃マティルデの異母姉にあたるとする説明がある。ディートリヒと、その妻ライニルデの娘でマティルデの姉妹とする説もある。さらに、サクソンの貴族の家柄とする見方や、ロレーヌの出身で両親の名は不明とする見方もあり、はっきりしない。確実なのは、シャロン=シュル=マルヌ司教ブーヴ2世(ボヴォ)が兄弟であったことである。国王シャルルの証書にも、司教ブーヴがフレデルナの兄弟であると明記されている。
907年4月、フレデルナはシャルル3世と結婚した。日付は4月1日とも18日ともいわれる。夫はルイ2世吃音王の子で、カール大帝の男系の子孫にあたる。この結婚は王に有力な同盟者をもたらしたとされる。王はアティニーの宮殿で、コルベニーの王領とポンティオンの宮殿を、付属するものすべてとともに彼女の寡婦産として定めた。
二人のあいだには六人の娘が生まれた。エルマントルド、フレデルナ、アデライード、ジゼル、ロトルード、ヒルデガルドである。生年はおおむね908年から914年のあいだとされる。エルマントルドはロタリンギア宮中伯ゴットフリートの妻となり、アデライードはゴワ伯ラウルの妻となった。ジゼルはノルマンディー公ロロの妻になったともされるが、その実在は疑わしいとする見解もある。911年のサン=クレール=シュル=エプト条約でロロが領地を得たのち、912年にジゼルが彼に嫁ぐことを約束されたと伝えられる。一方で、王に男子が生まれなかったため、後継ぎが問題になったという。
フレデルナが公の場にあまり姿を見せなくなったことから、夫に冷遇されたとする推測がある。しかし、それには根拠がないとも指摘される。夫が彼女を離縁したとする記述もあり、食い違っている。917年2月10日、フレデルナは若くして亡くなり、出産のときだったかもしれないといわれる。ランスのサン=レミ修道院に葬られ、シャルルは二通の証書で亡き妻を記念した。シャルルは919年、イングランド王エドワード長兄王の娘エドギフと再婚し、のちのルイ4世をもうけた。
同じ年に亡くなった人物
- Euthymius I of Constantinople (917年)
- ペタル・ゴイニコヴィチ (917年)
- Radboud of Utrecht (917年)
- Erchanger, Duke of Swabia (917年)
- 布袋 (917年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエール・グランゴワール (1538年没)
- マチュー1世 (ロレーヌ公) (1176年没)
- ロジェ・ピアントニ (2018年没)
- エミール・ガレ (1904年没)
- レオポール・クレマン・ド・ロレーヌ (1723年没)