HISTORICAL PERSON · 917年没

フレデルナ

西フランク王シャルル3世の最初の王妃。6人の娘をもうけ、その死後にシャルル3世はイングランド王女と再婚した。

生涯
917年没
死亡地
フランス共和国(ムルト=エ=モゼル県 / ロレーヌ地域圏)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(ムルト=エ=モゼル県)

伝記

フレデルナ(885年または887年頃-917年)は、西フランク王シャルル3世(単純王)の最初の王妃である。フレデリュンヌ、フレデロンヌなどとも呼ばれ、ドイツ語ではフレデルナ、古い形ではフリダルンと記される。

出自には諸説がある。ヴェストファーレン伯ディートリヒとギーゼラ・フォン・ロートリンゲンの娘で、ドイツ王ハインリヒ1世の王妃マティルデの異母姉にあたるとする説明がある。ディートリヒと、その妻ライニルデの娘でマティルデの姉妹とする説もある。さらに、サクソンの貴族の家柄とする見方や、ロレーヌの出身で両親の名は不明とする見方もあり、はっきりしない。確実なのは、シャロン=シュル=マルヌ司教ブーヴ2世(ボヴォ)が兄弟であったことである。国王シャルルの証書にも、司教ブーヴがフレデルナの兄弟であると明記されている。

907年4月、フレデルナはシャルル3世と結婚した。日付は4月1日とも18日ともいわれる。夫はルイ2世吃音王の子で、カール大帝の男系の子孫にあたる。この結婚は王に有力な同盟者をもたらしたとされる。王はアティニーの宮殿で、コルベニーの王領とポンティオンの宮殿を、付属するものすべてとともに彼女の寡婦産として定めた。

二人のあいだには六人の娘が生まれた。エルマントルド、フレデルナ、アデライード、ジゼル、ロトルード、ヒルデガルドである。生年はおおむね908年から914年のあいだとされる。エルマントルドはロタリンギア宮中伯ゴットフリートの妻となり、アデライードはゴワ伯ラウルの妻となった。ジゼルはノルマンディー公ロロの妻になったともされるが、その実在は疑わしいとする見解もある。911年のサン=クレール=シュル=エプト条約でロロが領地を得たのち、912年にジゼルが彼に嫁ぐことを約束されたと伝えられる。一方で、王に男子が生まれなかったため、後継ぎが問題になったという。

フレデルナが公の場にあまり姿を見せなくなったことから、夫に冷遇されたとする推測がある。しかし、それには根拠がないとも指摘される。夫が彼女を離縁したとする記述もあり、食い違っている。917年2月10日、フレデルナは若くして亡くなり、出産のときだったかもしれないといわれる。ランスのサン=レミ修道院に葬られ、シャルルは二通の証書で亡き妻を記念した。シャルルは919年、イングランド王エドワード長兄王の娘エドギフと再婚し、のちのルイ4世をもうけた。

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