伝記
クレイジー・ホースは、本名をタ・シュンカワカン・ウィトコ、略してタシュンケ・ウィトコといい、ラコタ・スー族の一支族オグララ族に属するパヤブヤ族の戦士である。しばしば誤解されるが、酋長ではない。1840年ごろ、現在のサウスダコタ州にあるベア・ビュット近くのベル・フーシェ川のそばで生まれたとされる。この年はスー族がショショーニ族から大量の馬を盗んだ年だと呪い師が証言したことによるが、その「大襲撃」は実際には1841年の出来事だったともいう。父はオグララ・スー族の呪い師で、治癒術の評判が高かった。母ラトリング・ブランケット・ウーマンはシチャング族の出身で、彼は幼いころからシチャング族やシャイアン族のキャンプに出入りしていた。名は「彼の奇妙な馬」を意味し、代々受け継がれるもので、父も息子に名を譲るまでは別の名で呼ばれていた。少年時代には馬を盗むのが非常に上手く、「ヒズ・ホーシズ・ルッキング」という名で呼ばれた時期がある。
1854年、12歳のときにグラッタン中尉によってコンクァーリング・ベアー酋長たちが虐殺されるのを見たという。これを契機に一人で山に分け入ってヴィジョン・クエストを行い、幻視を得た。幻視の中で、ふわふわと影のように踊り回る奇妙な馬に乗り、顔と体に不思議な模様を描いた男が現れ、さまざまな啓示を与えた。父はこの夢を聞いて、その男が息子だと確信し、自分の名を譲ったという。このとき二つのタブーを得た。「他人に腕を捉まれてはいけない」「自分のための物を持たない」というものである。また、常に質素ないでたちでいること、弱いものを助けて分け与えることも授けられ、生涯それを実行した。そのため、部族の弱い立場の人たちから熱烈に愛された。近しい者たちは彼が派手な羽根冠をつけて戦に出たことは一度もなかったと証言している。
部族の儀式やしきたりには関心を示さず、仲間からも距離を置いて「一匹狼」の姿勢を貫いた。放浪癖があり、しばしば姿を消して瞑想にふけった。白人と接することを非常に嫌い、写真に写ることもなかったため、肖像は残っていない。白人との戦いが激化し、「皮シャツを着る者」を選ぶ儀式が復活したとき、この地位に任ぜられた四人の戦士の一人となった。家柄が名門ではなく、名門のレッド・クラウドと反目していたため、これ以外に正式な地位にはなかったが、白人との妥協を拒む主戦派として重んじられた。レッド・クラウドの姪ブラック・バッファロー・ウーマンに恋焦がれていたが、彼女は友人ノー・ウォーターと結婚させられた。1870年に駆け落ちしたところ、追ってきたノー・ウォーターに撃たれ、弾が上顎に当たって大怪我を負い、長老たちの裁きで「皮シャツを着る者」の職を解かれた。その後、ブラック・ショールという女性を妻とし、その娘をコレラで幼くして亡くした。
1876年には、3月17日のパウダー川の戦い、6月17日のローズバッドの戦い、そして6月25日のリトルビッグホーンの戦いで、カスター中佐の大隊を全滅させた戦士の一人として活躍した。他の酋長や戦士が逃げる中でとどまって戦い続けたが、1877年5月6日、900人の戦士とともにアメリカ政府に投降し、ロビンソン砦に入った。その4か月後の9月5日(公式記録では6日)、司令官との会談を申し入れられて連行されたが、連れていかれた先は営倉だった。激しく抵抗した彼は、元仲間や白人兵に押さえ込まれ、歩哨に銃剣で刺されて、36歳で亡くなった。遺体は親族と幼馴染のホーン・チップスによって持ち去られ、埋葬場所は公開されていない。
同じ年に亡くなった人物
- フィリッポ・パルラトーレ (1877年没)
- ヴィルヘルム・ホフマイスター (1877年没)
- エリザベス・F・エレット (1877年没)
- ユーハン・ルードヴィーグ・ルーネベリ (1877年没)
- ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル (1877年没)
同じ地域に関係する人物
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- チャールズ・エドウイン・ベッシー (1915年没)
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