伝記
ジョン・エドワード・グレイは、1800年2月12日にウォールソールで生まれ、1875年3月7日に没したイギリスの動物学者である。同じ動物学者ジョージ・ロバート・グレイの兄で、父は薬学者・植物学者として知られたサミュエル・フレデリック・グレイ(1766年から1828年)である。動物の分類で用いられる「J・E・グレイ」の略記は、この人物を指す。一家は早くにロンドンへ移り、グレイはそこで医学を学び始めた。1821年には、父が書いた『イギリスの植物の自然な配列』の出版を手伝った。この本は、フランスのジュシューの分類体系にそって、イギリスの植物を初めて記述した書物で、当時の保守的な植物学者たちと対立を招いた。その結果、グレイはロンドンのリンネ協会への入会を拒まれ、以後は関心を植物学から動物学へと向けた。
すでに15歳のときから大英博物館の昆虫学部門でボランティアをしており、その縁もあって1824年に同館に奉職した。動物学部門の責任者の部下として、収蔵品図録の爬虫類の部を担当した。やがて部門の長を引き継ぎ、1840年に動物学部門の責任者となって、1874年のクリスマスまで務めた。同部門はのちにロンドン自然史博物館の所属に替わったが、グレイはその前に退職している。初期の研究では軟体動物の分類に新たな方法を導入し(1824年)、チョウ、棘皮動物、爬虫類、哺乳類の分類にも広げた。1832年には王立協会の会員となり、1833年には昆虫学者をまとめる学会をロンドンに創設している。大英博物館には50年勤め、在任中に標本はおよそ100万点増えて、世界でも有数の質と量に整えられたとされる。収蔵品のカタログを何冊も刊行し、そこでは動物群の包括的な解説とともに、数多くの新種の記載を行った。執筆した著作は約1,200にのぼるが、同じ内容の繰り返しが多く、批判的な分析に欠けるとも評される。クジラの仲間の多くの種、属、亜科、科も命名した。著作には、トーマス・ハードウィックとの共著『インド動物誌図譜』(1830年から1835年)、『動物学雑録』(1831年)、『楯をもつ爬虫類の目録』(1855年と1870年)などがある。昆虫学者の研究にも協力し、その論文をリンネ協会や動物学会に提出する際には、代読者として審査の場に立ち会った。
交友と趣味も広かった。博物学者で彫刻家のホーキンズと交流を重ね、リバプール近郊にあったダービー伯の私設動物園に関する私家版の発行を実現させた。1826年に結婚し、妻も科学者で、博物画を描いて夫の研究を支えた。切手収集も趣味で、世界初の切手収集家の一人として知られる。1840年5月1日に世界初の切手ペニー・ブラックが発売された日、手元に残そうと数枚を買ったという。統一した郵便料金を早くから提案した一人でもあったようである。大型ヨット「ミランダ号」を所有して、友人の聖職者ハムレット・クラークと1856年から1857年にスペイン、アルジェリア、ブラジルを旅し、水彩画が得意だったグレイは、クラークの旅行記に風景画の挿絵を寄せた。インドアカガシラサギの学名は、グレイにちなんで名づけられた。墓はロンドンのルイシャムの聖マリア教会にある。
同じ年に亡くなった人物
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