伝記
アレクサンドロス2世は、アルゲアス朝のマケドニア王である。在位は紀元前371年から368年までとも、紀元前370年ごろまたは369年から368年までともされ、2年ほどの短い治世であった。先代の王アミュンタス3世と王妃エウリュディケの長男で、弟にペルディッカス3世とピリッポス2世がいる。
即位したとき、すでに成年には達していたものの、きわめて若かった。このため王朝の敵が戦いを再開し、新王はすぐに困難に直面した。北西からはイリュリア人が侵入し、東からは王位を狙うパウサニアスが攻めてきた。パウサニアスはたちまちいくつかの都市を奪い、ペラの宮殿にいた王母と幼い王子たちを脅かしたという。アレクサンドロスは、アンフィポリスを奪い返そうとマケドニアの沿岸を航行していたアテナイの将軍イフィクラテスの助力を得て、これらの敵を破ることができた。
その後、テッサリアのアレウアス家の求めに応じて、テッサリアの内戦に介入した。ラリサをはじめとするいくつかの都市を手に入れたが、約束に背いてそれらの都市に守備隊を置いた。このことが、当時ギリシアで最大の軍事力を持っていたテーバイの反発を招いた。テーバイの将軍ペロピダスはマケドニア勢をテッサリアから追い払い、さらにアレクサンドロスの義兄弟にあたるアロロスのプトレマイオスの野心を後押しして、王を牽制した。アレクサンドロスはアテナイとの同盟を捨ててテーバイと結ぶことを強いられ、この同盟の一環として、弟のピリッポスを含む人質を差し出した。
王の個人的な護衛隊の名として、歩兵の「仲間」を意味するペゼタイロイという呼び名を作ったのも、アレクサンドロスだとされる。この名は、のちにピリッポス2世のもとで、長槍を持つ歩兵部隊の名として作り直された。
紀元前368年、テリシアスと呼ばれる戦いの踊りの上演のさなかに、プトレマイオスの扇動によって暗殺された。弟のペルディッカス3世が次の王となったが、未成年だったため、プトレマイオスが摂政となり、実質的な支配者になった。
同じ年に亡くなった人物
該当人物はまだありません。
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