伝記
スタテイラは、アケメネス朝ペルシアの王妃である。王アルタクセルクセス二世の妃で、後継者アルタクセルクセス三世の母にあたる。死去の年は紀元前394年ともおよそ紀元前400年ともされ、はっきりしない。
出身はペルシアの貴族ヒュダルネスの家で、父は太守ヒュダルネスだったと伝えられる。夫アルタクセルクセスはダレイオス二世と王妃パリュサティスの長男で、結婚は即位前のことである。ダレイオス二世は有力な貴族の家と良好な関係を築こうとしたらしく、スタテイラの兄弟テリトゥクメスもダレイオス二世の娘アメストリスを妻にしていた。ところがテリトゥクメスは異母妹の一人を愛して王女である妻を憎み、反乱を起こそうとしたという。これを受けてパリュサティスはヒュダルネスの家の者を皆殺しにさせ、夫の頼みでスタテイラだけが助けられたと伝説は語る。別の伝えでは、異母妹ロクサネは生きたまま切り刻まれ、スタテイラにも同じ刑が命じられたが、夫アルタクセルクセスが母に助命を願い出たという。
紀元前404年、父の死でアルタクセルクセスが王位に就いた。スタテイラは多くの側室がいたにもかかわらず、王のただ一人の正妻だったようである。のちに王位を継ぐ息子アルタクセルクセスを産み、ほかにも子があったと考えられる。王妃となった彼女は、王太后パリュサティスと王への影響力を競い、二人は激しく対立した。民衆には人気があり、馬車に乗るときに幕を開けて民に姿を見せ、庶民とも言葉を交わしたからだといわれる。王の許しを得て、通りかかる人々が挨拶できるようにしていたとも伝わる。あるとき、エジプトの王が美しい女奴隷を贈ってきたこともあり、これはペルシアの侵攻を避けるための外交上の配慮だったらしい。また、テリトゥクメスを討ったウディアステスは、スタテイラの命令で舌を切られ、その傷がもとで死んだという。これはパリュサティスを怒らせた。
二人の不和は、王の弟キュロスの反乱をめぐって深まった。パリュサティスは愛息のキュロスを助けて王位を奪わせようとしており、スタテイラは夫の側に立って、舌鋒の鋭い姑を非難した。キュロスが密かに大規模な攻撃を準備したとき、スタテイラの兄弟ティッサフェルネスが王に急を知らせ、王は軍勢を整えてキュロスを破り殺したとされる。キュロスの死後、パリュサティスが彼の死に関わった者を残酷に追及すると、スタテイラは宦官マサバテスへの酷い扱いなどを公然と批判し、対立はいっそう激しくなった。憎しみの強さから、パリュサティスは王に側室を持つよう勧めて妻を苦しめようとしたとも伝えられる。
最期は毒殺である。パリュサティスが召使いのギギスの助けを借り、毒を塗った小刀で小鳥の肉を切り分け、毒の付いた半分だけをスタテイラに出したという。ともに食事をする席で、パリュサティスは無毒の半分を食べ、スタテイラは毒の半分を食べて苦しみながら死んだとされる。動機については、捕らえられたスパルタの将軍クレアルコスらを救おうとしたパリュサティスに対し、スタテイラが王を説いて処刑させたためとする説がある。しかしプルタルコスはこれを信じなかった。別の伝承は、王が本当に愛しているのは妻だけだと姑が悟ったためとする。後世、スタテイラは紀元1、2世紀ごろの作家カリトンの小説『カリロエ』で重要な役を与えられた。1916年に発見された小惑星831番も、彼女にちなんでスタテイラと名づけられている。
同じ年に亡くなった人物
- ティッサフェルネス (紀元前 394年)
- スパルタのペイサンドロス (紀元前394年没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。