伝記
ハンス・クリスティアン・エルステッドは、1777年8月14日にデンマークのランゲラン島ルードコービングで生まれた物理学者・化学者である。電流が磁場をつくることを発見して電磁気学の基礎を築き、カント哲学の信奉者として19世紀後半の科学の方向性を決めた一人とされる。父は薬局を営んでおり、彼はその手伝いをしながら科学への興味を育んだ。教育はほとんど独学で、1796年にコペンハーゲンへ出て大学の入学試験を受け、卓越した成績で入学した。同年には美学と物理学の論文で賞を受けている。1799年には、カントの哲学を扱った論文で博士号を取得した。
1801年に奨学金と助成金を得て、3年をかけてヨーロッパ各地を巡った。ドイツでは、電気と磁気には関係があると信じる物理学者ヨハン・ヴィルヘルム・リッターと出会った。エルステッドはもともとカント哲学流の自然の単一性や、自然現象のあいだの深い関連を信じていたため、リッターの考えは納得のいくものだった。この対話から本格的な物理学の研究に入り、パリでは1801年12月から約1年間、ヴォークランやビオ、キュヴィエらの講義を聴き、工場を訪ね、著名な科学者たちと直接知り合った。1804年1月にデンマークへ戻ったが、自然哲学への関心を軽んじられて教授職にはすぐ就けず、3年間の給与と実験費を与えられ、自ら会場を借りて化学物理の講義を開いた。講義は女性も含め大勢が詰めかけたという。1806年にコペンハーゲン大学の物理学教授となり、電流や音響の研究を進めた。彼の指揮のもとで同大学は物理学と化学の総合的な教育課程をつくり、新しい研究室も設けた。
1820年4月21日、講義中に実験器具を扱っていたエルステッドは、電池のスイッチを入れたり切ったりすると、そばの方位磁針が北でない方角を指すことに気づいた。これが電気と磁気の直接的な関係を示す最初の証拠となった。当初は、導線に電流が流れると光や熱のように磁気的効果が周囲へ放射されると解釈したが、3か月後により集中的な研究を始め、電流の流れる導線の周囲に円形の磁場ができるという発見を公表した。これは単なる幸運ではなく、彼は数年前から電気と磁気の関係を示す証拠を探していた。現象の特殊な対称性が発見を遅らせた一因ともいえる。彼は十分な説明や数学的な解析をしなかったが、その実験報告はアンペールらによる電磁気学の発展のきっかけとなった。なお、イタリアのロマニョージによる1802年の実験は新聞に報じられたが、科学者ではなかったため科学界に見過ごされたという。
その後も活動は広く、1822年にスウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員に選ばれ、1824年には自然科学普及協会を創設した。1825年にはアルミナから合成した塩化物をカリウムアマルガムで還元し、初めてアルミニウムを分離したとされる。1829年には、のちにデンマーク工科大学となる学校を創設した。詩人でもあり、気球の実験に着想を得た詩集『飛行船』を出版している。デンマーク黄金時代の指導者の一人で、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの親友でもあり、創作の方向に悩む彼に童話への専念を勧めた。弟アナスは政治家となり、1853年から1854年までデンマーク首相を務めた。1851年3月9日にコペンハーゲンで亡くなり、市内の墓地に葬られた。磁場のCGS単位「エルステッド」に名を残し、肖像は1950年から1970年まで旧100クローネ紙幣に描かれ、1999年打ち上げのデンマーク初の人工衛星も彼の名を冠している。
同じ年に亡くなった人物
- ジョアンナ・ベイリー (1851年没)
- Jan Barszczewski (1851年没)
- ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト (1851年没)
- ペータル2世 (1851年没)
- トーマス・ホプキンズ・ギャローデット (1851年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘンリク・ポントピダン (1943年没)
- クリスチャン9世 (デンマーク王) (1906年没)
- ヴィルヘルム・マドセン (1917年没)
- クリスチャン・サートマン (1917年没)
- コンスタンティン・ハンセン (1880年没)