伝記
アアトは、古代エジプト第12王朝の王妃である。名は「偉大なる者」を意味する。完全な名はケネメトネフェルへジェト・アアトであったかもしれないとされる。夫は第12王朝のアメンエムハト3世で、王には多くの妃がいたが、現代の考古学が名を確実に認めているのは彼女だけだという。没年は紀元前1800年ごろとされる。
彼女が知られているのは、ほぼ埋葬のためである。ダハシュールにある夫のピラミッドの内部に葬られ、同じピラミッドには、もう1人の王妃も葬られていた。この墓は1978年から1979年にかけて、ディーター・アルノルトの発掘によって見つかった。ピラミッドの通路は、同じ構成をもつ2つの玄室に通じる。西側がアアトのもの、東側がもう1人の王妃のものである。それぞれ、カノポス壺の箱を安置する小部屋が階段の上にあり、その先に廊下、2つの前室、石棺をおさめた玄室が続く。ただし、別の記述ではアアトの玄室は南側にあり、カノポス壺の箱は入口の上の壁龕に置かれたとされる。
墓は古代に盗掘を受けていたが、それでも石棺、偽扉、供物台が見つかり、副葬品の一部も残っていた。アヒルの形をした7つのアラバスター製の鉢、黒曜石の鉢、2つの棍棒頭、金の装身具の破片、カノポス壺1つなどである。石棺は飾りがあるが銘文はなかった。石棺の中の遺体は、およそ35歳で亡くなった女性のものだった。隣の玄室の王妃は25歳ほどで、こちらの副葬品も黒曜石やアラバスターの鉢、棍棒頭、宝飾品、小さな石の祠の破片などで、ほぼ同じ内容であった。偽扉と供物台には彼女の名があり、葬祭神殿からも名の入った品が見つかっている。
刻まれた称号は「王の妻」「世襲の貴婦人」「白冠と結ばれた者」、さらに「王の愛する妻」である。墓は、アメンエムハト3世の治世の15年から20年のあいだに閉じられたとされ、約46年に及んだ治世の比較的早い時期に、2人の王妃が葬られたことになる。彼女に子がいたことは知られていないが、のちに王位に就く女王セベクネフェルの母だったかもしれないともいわれる。
なお、このピラミッドは建設の初期に欠陥が現れたため、最終的には王自身の埋葬地としては放棄されたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- セベクヘテプ2世 (紀元前 1800年(推定))
- セヘテプイブラー (紀元前1800)
- イウフニ (紀元前 1800年(推定))
- Mut-Ashkur (紀元前1800)
- ホル (紀元前 1800年(推定))
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。