伝記
セメンカラー・ネブヌニは、第二中間期にあたる第13王朝の初期の王である。ネブヌン、ネブネンヌともよばれる。同時代の記録がきわめて乏しく、証拠が少ないために実像のわかりにくい王で、主にトリノ王名表での位置によって知られている。
名のセメンカラーは即位名で、「ラーのカーを強める者」の意とされる。トリノ王名表の第7欄11行目に「上下エジプト王セメンカラー……22日」と記されており、直前にはサンクイブラー(アメンエムハト)、直後にはセホテピブラーが並ぶ。統治の年数は王名表の欠損のため大半が失われ、末尾の22日だけが読める。王名表上の順位については、ダレル・ベイカーとキム・ライホルトは第13王朝の9番目の王とし、ユルゲン・フォン・ベッケラートとデトレフ・フランケは8番目とみる。
出自については、父の名を示す称号を王名に持たないことから、ライホルトは王家の生まれではなかったと考えている。先代の王との王家としてのつながりが見られないことも指摘され、ライホルトは、この王が王位を簒奪した可能性があると結論づけている。
同時代の遺物として知られるのは、ただ1点の彩釉陶(ファイアンス)製の石碑である。シナイ半島の紅海沿岸にあるゲベル・エル・ゼイトで発見されたもので、一方の面では王が「その壁の南の」プタハの前に立つ。これはメンフィスで使われたプタハの称号である。もう一方の面では「異国の主」ホルスの前に立つ。石碑には王の名と即位名も刻まれている。この地には方鉛鉱の鉱山があり、石碑はそこで鉱山の仕事が命じられたことを示すとされる。
治世の長さには説が分かれる。ライホルトは2年とし、紀元前1785年から1783年までと推定する。一方、ロルフ・クラウス、デトレフ・フランケ、トーマス・シュナイダーは1年のみとして、紀元前1739年に置く。治世の詳細はほとんどわからないが、この石碑の存在は、当時の第13王朝の王たちが、建築材料の調達や贅沢品の製作のためにシナイで採鉱遠征を組織できるだけの力を、なお保っていたことを示すと考えられている。
同じ年に亡くなった人物
- セベクヘテプ3世 (紀元前 1800年(推定))
- セヘテプイブラー (紀元前1800)
- イウフニ (紀元前 1800年(推定))
- イシュメ・ダガン1世 (紀元前 1800年(推定))
- サホルネジュヒルイオテフ (紀元前1800)
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