HISTORICAL PERSON · 1828年没

ウイリアム・ウォラストン

イギリスの化学者・物理学者・天文学者。1803年にロジウムとパラジウムを発見し、プラチナの精製法も開発した。1802年に太陽光スペクトルの暗線を見出し、光学装置のカメラ・ルシダを発明した。

生涯
1828年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
イギリス連邦(ディアラム)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

ウィリアム・ハイド・ウォラストンは、1766年8月6日に生まれ、1828年12月22日に没したイギリスの化学者、物理学者、天文学者である。1802年にパラジウム、1804年にロジウムを発見したことで知られる。また、白金鉱石を展性のある金属に精製する方法を開発し、カメラ・ルシダの特許を取り、電気や分光学にも貢献した。

ノーフォークのイースト・ダーラムに、著名なアマチュア天文家の聖職者フランシス・ウォラストンと、その妻アルセア・ハイドの息子として生まれた。17人きょうだいの一人で、家は経済的に豊かで、知的な刺激に満ちた環境で育った。1774年から1778年までチャーターハウス校で学び、ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで自然科学と医学を学んで、1793年に医学の学位を得た。1787年から1828年まで、同カレッジのフェローを務めた。1789年からハンティンドンで開業医となり、ベリー・セント・エドマンズを経て、1797年にロンドンへ移った。学ぶうちに化学、結晶学、冶金学、物理学に関心を持ち、1800年に年長の兄から多額の金を受け取ると医業を離れ、化学など専門外の関心に打ち込んだ。1793年に王立協会の会員となり、1820年には会長に選ばれた。1822年にはアメリカ芸術科学アカデミーの外国人名誉会員にも選ばれた。

1800年にスミスソン・テナントと組んで化学製品の製造販売を始め、世界で初めて実用的な量で白金鉱石を処理する物理化学的な方法を開発して富を得た。白金鉱石を酸で処理して不純物を除き、粉末冶金法に似た方法で展性のある白金を精製した。製法を死の間際まで秘密にし、約20年にわたりイングランドで唯一の供給者として巨利を得た。精製の過程の化学分析から、白金鉱石からパラジウムとロジウムを分離した。パラジウムは1802年に発見された小惑星パラスにちなみ、ロジウムはその塩がばら色であることから命名された。1809年にはタンタルとニオブを同じ元素と見なして統合したが、のちに誤りと判明した。

光学では、1802年に太陽光のスペクトルの中に暗線があることを見出した。これはフラウンホーファーの観察より12年早く、分光学史上の重要な出来事であった。1807年にカメラ・ルシダを発明し、ウォラストン・プリズムにも名を残している。1809年に反射式ゴニオメーター、1812年にはカメラ用に特に設計された最初のレンズであるメニスカスレンズを開発した。電気では、1801年に摩擦電気とボルタ電池の電気が同一であることを示す実験を行った。晩年は電気モーターの研究も行い、ファラデーに10年先立って電磁誘導を偶然発見したともいわれるが、王立協会での実演は失敗した。天文学では、太陽スペクトルの研究や木星の観測にも取り組んだ。

王立協会から1802年以後数回、ベーカリアン・メダルを受賞して記念講演を行い、1802年にコプリ・メダル、1809年にクルーニアン・メダル、1828年にロイヤル・メダルも受けた。生前、地質学との関わりはほとんどなかったが、遺言により、優れた業績をあげた地質学者を顕彰する「ウォラストン・メダル」が創設された。鉱物のウォラストナイト、チリ最南部のウォラストン諸島も彼の名にちなむ。ロンドンで没し、チズルハーストのセント・ニコラス教会の墓地に葬られた。

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