伝記
カール13世は、ホルシュタイン=ゴットルプ朝最後のスウェーデン国王で、在位は1809年から1818年である。1814年からはノルウェー国王も兼ね、ノルウェーではカール2世と呼ばれた。1748年10月7日にストックホルムで、国王アドルフ・フレドリクとプロイセン王女ロヴィーサ・ウルリカの次男として生まれ、兄に国王グスタフ3世がいる。誕生から数日で海軍大元帥に任じられたと伝わる。幼少期はヘードヴィグ・エリーサベト・ストレームフェルトらに養育され、宮廷の素人劇で踊りが上手いと評された。母は幼い弟妹を好み、彼とはあまり親しくなかったが、父には愛され、性格も父に似ていた。兄グスタフとは子どもの頃は仲がよかった。
兄に次ぐ王位継承順位にあったため、若い頃から兄に反対する勢力に利用されやすく、1760年代にはキャップス党が愛人候補のブリタ・ホルン伯爵令嬢を通して彼を兄に対抗させようとした。しかし1768年の12月危機で、彼は党に利用されなかった。1770年にはドイツとフランスを一人で旅した。1771年に父が没し、兄が外国にいる間にも同じ試みがあったが、兄が戻ると味方につけられた。1772年の兄のクーデターに協力し、キャップス党を抑えて南部の州を軍で確保する役割を果たし、その功でセーデルマンランド公に叙された。母が望んだ従姉との縁談は、兄が破談にさせ、1774年に13歳の従妹ヘードヴィグ・エリーサベト・シャルロッタと結婚した。兄は自分の結婚が成就しておらず、世継ぎを弟に期待したのである。1775年に妻の妊娠が誤報に終わると、兄はようやく結婚を成就させた。夫妻は別々の私生活を送り、互いに愛人がいた。1778年の継承の醜聞では、母が兄の子の父親を疑った際、兄の側に立ったが、噂を母に知らせたのは彼自身で、それを兄には隠していた。
1788年にロシア・スウェーデン戦争が始まると海軍提督として指揮を執り、1788年6月17日と1789年7月26日の海戦で戦功を挙げた。1792年にグスタフ3世が暗殺されると、息子グスタフ4世アドルフが即位し、カールは摂政を務めたが、実権を握ったのはロイターホルムだった。1796年11月にグスタフ4世アドルフが親政を始めると影響力を失った。ナポレオン戦争中の1809年3月13日にグスタフ4世アドルフが廃位されると、摂政に選ばれ、ついでカール13世として即位した。しかしすでに弱っており、1810年にベルナドットがスウェーデンに上陸すると、王に代わって国政を担った。同年、医学研究の重要性を痛感してカロリンスカ研究所を設立した。1814年にスウェーデン=ノルウェー連合が成立してノルウェー国王も兼ねた。1818年2月5日に没し、ベルナドットがカール14世ヨハンとして即位した。
王妃との間の息子カール・アドルフは1798年に夭折した。依存しがちで他人の影響を受けやすい人物とされ、多くの愛人を持つ放蕩者と噂された。1790年代末からは、リューマチの発作で健康が衰え、妃との関係が改善して影響力も増した。超自然や神秘に関心が深く、フリーメイソンでもあり、1811年にはプロテスタントのフリーメイソンだけが叙される、スウェーデンの騎士団を創設した。
同じ年に亡くなった人物
- シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ (1818年没)
- ジュゼッペ・ガッザニーガ (1818年没)
- カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョン (1818年没)
- ジョージ・ロジャース・クラーク (1818年没)
- ヘートヴィヒ・エリーザベト・シャルロッテ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ (1818年没)
同じ地域に関係する人物
- ニルス・スコグルンド (1980年没)
- ユハン・アンデショーン (1960年没)
- アルヴィド・テルン (1986年没)
- オスカル1世 (スウェーデン王) (1859年没)
- イバン・トゥリーナ (2013年没)