伝記
ヘンリー・キャヴェンディッシュは、イギリスの自然哲学者であり、化学者、物理学者である。1731年10月10日に生まれ、1810年2月24日に没した。寡黙で人間嫌いな性格で知られ、遺産による豊富な資金を背景に研究に打ち込み、多くの成果を残した。
父方の祖父は第2代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュである。父チャールズは三男だったため爵位は継がなかったが、ロードの称号を持つ裕福な貴族で、最高と最低の温度を記録する温度計の制作などの業績により、1757年にコプリ・メダルを受けた科学者でもあった。母アン・グレイは初代ケント公の四女で、病弱だったため、ヘンリーは療養先のニースで生まれた。母は2年後の1733年9月20日に、次男フレデリックを産んで亡くなった。1742年に貴族の子弟の教育に定評のある学校に入り、1749年、18歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進んだ。物理学と数学で優れた成績を収めたが、学位をとらないまま1753年に退学した。理由は明らかでないが、学位授与式での宗教上の問題を避けたためと推測されている。その後は、父の住居で暮らした。1760年に王立協会の会員となった。父は多くの財産を持っていたが、生活費は年500ポンドに過ぎず、ヘンリーはつつましく暮らしていた。1783年に父が死ぬと多額の遺産が入り、以後は生活に不自由せず研究に打ち込んだ。
1766年の論文で、亜鉛、鉄、スズに硫酸か塩酸を加えると可燃性の気体が発生すると発表した。これが水素である。ただしフロギストン説を支持していたため、金属から出たフロギストンと考えた。この気体が空気の11分の1の質量しかないとも発表した。1781年にはプリーストリーが、水素と空気を電気火花で爆発させると容器の中が湿ることに気付き、これを知ったキャヴェンディッシュは追試を重ねて、水が生成し、体積が5分の1減ることを確かめ、1784年に発表した。水が単独の元素ではなく化合物であることを示すものだったが、彼はこれもフロギストン説で解釈した。窒素と水素を電気火花で反応させると、硝酸が生成することも発見した。空気中の窒素と酸素をすべて取り除くと、何物とも反応しない少量の気体が残ると記しており、この気体は1世紀以上あとの1894年に再確認され、アルゴンと名付けられた。1797年から1798年にかけては、いわゆるキャヴェンディッシュの実験を行って、地球の比重を測定し、1798年に発表した。
寡黙で、ほとんど誰とも言葉を交わさず、他人と会うのは王立協会の会合などに限られた。女性を嫌い、女性の使用人には夕食の注文をノートに書いて、ホールの机に置いて伝え、顔を合わせないようにした。莫大な資産がありながら、政治的名誉や経済的成功は望まず、生活は質素だった。預金が8万ポンドを超えたとき、銀行員が投資を勧めると、これ以上煩わせると全額引き落とすと答えたという。
存命中の論文は18報だが、死後、未発表の実験記録が多く見つかった。気体の蒸気圧や熱膨張、クーロンの法則やオームの法則に当たる電気の研究も含まれ、生前に公開されていればと惜しまれた。デービーは、ニュートンの死以来、これほどイギリスが損失を被ったことはないと讃えた。遺稿は、マクスウェルが整理して、1879年に『電気学論文集』として刊行した。デヴォンシャー公が1870年に計画した実験物理学の研究所は、キャヴェンディッシュ研究所と命名された。遺体はダービーの教会にある一族の墓に葬られ、5万ポンドの預金などの財産は、弟フレデリックが継いだ。
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