HISTORICAL PERSON · 616年没

エゼルベルト (ケント王)

ケント王国の王。フランク王女ベルタと結婚した縁もあってアウグスティヌスの布教を受け入れ、最初にキリスト教に帰依したアングロサクソン王となった。ゲルマン語派最古とされる法典も制定した。

生涯
616年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

エゼルベルトは、560年頃に生まれ、616年2月24日に没したとされるケント王国の国王である。日本語では「エゼルベルフト」とも書かれ、古英語の綴りも一定しない。最初にキリスト教に帰依したアングロサクソン人の王として知られる。7世紀の学僧ベーダは『イングランド教会史』で、彼をアングロサクソン諸国に対する「インペリウム」を保持した王の一人に数え、9世紀のアングロサクソン年代記はブレトワルダの一人と記した。ケント王国は、ユトランド半島南部から来たジュート人が建てたとされ、ヘンゲストとホルサの兄弟による建国の話は、歴史家からは伝説の類と見られている。

ベーダによれば、エゼルベルトはケント伝承の始祖ヘンゲストの直系の子孫で、イルミンリッチの子である。父はエルメントリッチとも記され、この名がフランク人貴族に多い「エルメン」を含むことから、ケントとフランク王国の結びつきが示唆されている。トゥールのグレゴリウスは、父がケント王だったとだけ記している。妹リコレは東サクソン人の王の母とされる。妻はフランク王カリベルト1世の娘ベルタで、この結婚によって、当時の西ヨーロッパで最も強力なメロヴィング朝フランク王国との同盟関係にあった。婚儀の時期は、王位に就く前だったと思われる。

生年と即位の時期には異論がある。ベーダは616年に没し、在位は56年だったと記し、すると即位は560年となる。洗礼から21年後に没したとも書き、その場合の改宗は595年だが、ベーダはアウグスティヌスの伝道によって改宗したとも述べており、その597年到来と食い違う。アングロサクソン年代記の写本も一致せず、在位は560年から616年、または565年から618年のいずれかとなる。56年という長い在位を疑い、56歳で没したのではないかとする意見もある。没年が618年なら、洗礼は597年となり、到着後1年足らずで王を改宗させたという伝承と合う。結局、最も考えられる年代は、生年が560年頃、結婚が580年頃、統治の開始が589年か590年頃だとされる。

教皇グレゴリウス1世は、布教のためにアウグスティヌスを派遣した。この派遣に、キリスト教徒であった妃ベルタの影響があったかもしれないといわれる。宮廷には妃に付き添うフランク人の司教もいたため、王が以前からキリスト教を知っていた可能性もある。597年にアウグスティヌスがサネット島に到着すると、まもなく王は入信した。教会が建てられ、幅広い改宗が行われた。王は首都カンタベリーにも新たな教会を建て、それが今の聖アウグスティヌス修道院である。この時に礎として置かれた敷石が、のちのイギリス国教会の基礎になったという。

治世に出されたケント王国の法典は、ゲルマン語派のものとしては最古で、複雑な罰金の体系を定めている。大陸に近いケントは豊かな国で、王は交易を自らの支配のもとで行っており、それが罰金の複雑さにつながったとする説もある。アングロサクソン人がブリテン島に上陸して以来、初めての通貨の流通が、この治世のケントに見られる。国は東西に分かれ、東ケントの王が全体を担う例だったらしく、息子エアドバルドとの共同統治をうかがわせる記述もあるが、その勅許は偽造とされる。エゼルベルトは、アングロサクソン諸国にキリスト教を広めたことから列聖された。祝日はもとは2月24日であったが、のちに2月25日に改められた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。