HISTORICAL PERSON · 549年没

テウディギセル

西ゴート王国の王。侵攻したフランク族をバルカルロスの峠で撃退したが、貴族の妻たちとの醜聞から反感を買い、セビリアでの宴会中に暗殺された。

生涯
549年没
死亡地
Spalis
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

テウディギセルは、500年頃に生まれ、549年12月に没した西ゴート王である。在位は548年から549年までの短い期間で、ヒスパニアとセプティマニアを治めた。テウディギセルとも、ラテン語風にテウディギスクルスとも呼ばれ、スペイン語圏ではテウディセロなどの名でも知られる。西ゴートの王名表の中には、アギラ1世とともにこの王を飛ばして、テウディスからアタナギルドへ直接つなぐものもある。

出自については諸説がある。西ゴートの有力貴族の出身といわれる一方で、アマル家の血筋であり、東ゴート王テオダハドの息子だとする説もある。後者が正しければ、母はグデリヴァで、妹にエブリムドの妻となったテオデナンタがおり、テオドリック大王の大甥、アマラスンタの従甥、アタラリックとマタスンタの兄妹の又従兄弟にあたる。東ゴート系の将軍だったとして、テオドリック家の最後の一員とみなす記述もある。

テウディギセルはテウディス王に仕える有力な将軍だった。541年にフランク族がヒスパニアへ侵攻してきたとき、これを撃退し、バルカルロスの峠でフランク族を切り刻んだとされる。ただし侵攻の年を542年とする記述もあり、その場合、フランク王のキルデベルト1世とクロタール1世に率いられた軍がピレネーを越えてパンプローナやカラオラなどの都市を略奪し、サラゴサを包囲したという。サラゴサの住民は多額の金銭と聖ビセンテの祭服を差し出して撤退を取りつけた。フランク軍が山道に入ると、テウディギセルの率いる西ゴート軍が後衛を不意に襲って壊滅させ、荷物や財宝を奪い、フランク軍の手元には聖遺物だけが残ったという。一方で、故国へ帰るために彼らが差し出した賄賂を、テウディギセルは受け取ったとも伝えられる。

548年にテウディス王が暗殺されると、テウディギセルは王位についた。在位は同年6月から549年12月までとされるが、治世の長さについては、1年6か月13日とする年代記や、1年3か月とするイシドールスの記述があり、一致しない。フランスの記述では、放埒で暴君のようにふるまったために長くは続かなかったとされる。

最期はセビリアでの宴会の席だった。イシドールスは、テウディギセルが公然たる売春によって非常に多くの有力な貴族男性の結婚を汚したために、共謀した暗殺者たちに殺されたと記す。宴席はヒスパニア・ローマ系の人々との会食だったともいわれる。暗殺については、妻を王に奪われた夫たちの仕業だとする説と、ゴート人の貴族がアギラ1世の指揮のもと、東ゴート系の王に支配されることを嫌って謀議したとする説がある。後者では、王が酔っているところを狙われたともいう。トゥールのグレゴリウスは、別の筋書きを記している。饗宴の最中にロウソクの灯が吹き消され、暗闇の中で正体のわからない人物が王を殺したというのである。グレゴリウスは、ゴート族には、貴族を不快にさせた王を自らの手で殺し、好ましい王に取り替えるという非難されるべき慣習があったと結論づけた。セビリアの伝承では、貴族たちが合図とともに広間の扉を閉じ、灯りを消して王を椅子に押さえつけ、一人ずつ短剣で胸を刺したのち、灯りをともし直して、玉座の王が刺されていたことに驚いたふりをしたと語られる。テウディギセルの死後、王位にはアギラが就いた。フランスの記述では、王を襲った者たちがアギラを玉座に上げたとされる。

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