伝記
ブリュゴス画家は、古代ギリシアのアテナイで活動した後期アルカイック期の赤像式陶器画家である。オネシモス、ドゥリス、マクロンと並び、同時代で最も重要な杯の画家の一人とされる。活動したのは紀元前5世紀の最初の三分の一ほど、とりわけ前480年代から470年代にかけてで、没年は紀元前500年頃と伝えられるものの、活動期との関係ははっきりしない。二百点を超える陶器がこの画家の作に帰されており、きわめて多作だった。もっとも知られた作品は、トロイア陥落を描いてルーヴル美術館に収められた赤像式のキュリクス、いわゆるブリュゴスの杯である。
画家の呼び名は、「ブリュゴス」の署名をもつ複数の杯の作風に由来する。この署名は現在十六点の器に見られ、しばしば「エポイエセン」(作った)という語を伴う。この語は絵付けではなく制作、つまり陶工を指すと考えられ、画家なら「エグラプセン」(描いた)が続くはずだという。学者の中には陶工と画家を同一人物とみなす者もいるが、署名のある器のなかにはこの画家以外の同時代の画家が装飾したものもあり、その説には難がある。ブリュゴスが器を成形し、ブリュゴス画家が絵を描くという協力関係があったのだろうとされる。それでもP・ハルトヴィヒ以来、一人の巨匠の作風と作品群を示す名として、この呼称が使われている。
出土品もこの画家を知る手がかりになっている。19世紀にイタリアのカプアで、前5世紀の墓から署名入りの見事な赤像式キュリクスが見つかり、ジョン・ビーズリーはこの墓を「ブリュゴスの墓」と呼んだ。アテナイのアクロポリスからは、宴の参加者を描いた皿の破片が出た。焼けた外面と大理石建築の破片とともに出土したことから、ペルシア軍による破壊の残骸と判断され、前480年より前の作という下限が与えられた。ただし、この画家の作とされる陶器の大半は、発掘の状況が不明のまま美術市場に現れたものである。
作った器の形は、圧倒的にB型とC型のキュリクスが多いが、スキュフォス、カンタロス、リュトン、注ぎ口のついたカラトス風の器、数点のレキュトスも手がけた。赤像式のほかに、白地の陶器も作っている。師はオネシモスらしく、作風はその初期作に由来し、活動時期も並行している。「開拓者」と呼ばれる初期の赤像式画家たちと直接の接触がなかった、最も早い世代の一人とみられる。好んだ主題は饗宴と体育場の場面で、人物は平らな頭頂、長い鼻、高く弧を描く眉の下の細い目で特徴づけられる。描線は常に精密とは限らないが、人物の姿勢と表情の豊かさは際立つ。子供を小さな大人ではなく本当に子供らしく描いた、数少ない画家の一人であり、老人には無精ひげや薄い頭髪、禿げの兆しが見える。口の描写にも優れ、口笛を吹き、歌い、笛を奏で、唇を引き結ぶ姿が解剖学的に正確に表される。人間の感情や表情、交わりを注意深く観察した画家だったことがうかがえる。
神話場面にはしばしば独創がある。妾テクメッサが遺体を覆うアイアス、ヘクトルの遺体の引き渡しなどトロイア戦争の場面を描き、ディオニュソス的な主題も多い。サテュロスが女神イリスとヘラを襲う杯では、イリスは逃げようとし、ヘラはヘラクレスとヘルメスに守られ、ディオニュソスは居合わせながら関与しないように見える。人物名を銘文で示し、台詞まで書き入れることもあったが、美少年を讃えるカロス銘はまれである。
同じ年に亡くなった人物
- ベトリア (紀元前 500年(推定))
- グナエウス・マルキウス・コリオラヌス (紀元前 500年(推定))
- ヘロディコス (紀元前 500年(推定))
- Charon of Lampsacus (紀元前500)
- ヒッパソス (紀元前 500年(推定))
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