伝記
トラレスのアンテミオスは、東ローマ帝国の数学者・技術者・建築家である。ハギア・ソフィア大聖堂の建築家として知られるが、建築家というよりは幾何学を専門とする数学者・理論家であり、確実に彼が設計したとされる建物はハギア・ソフィアのみだという。生没年は474年から534年とされることもあるが、533年ごろから558年までの間に没したともされ、確定していない。リディアのトラレス(現在のアイドゥン)の中流階級の家に生まれた。父は医者のステファノスで、五人の優れた息子がいた。ディオスコロスは父の職を継いでトラレスで医者となり、アレクサンドロスはローマで当時屈指の名医として知られた。オリュンピオスは法律家、メトロドロスはコンスタンティノープルの文法家となった。アンテミオスはこの五兄弟の一人である。
彼は建築を幾何学の具体的な応用とみなし、ハギア・ソフィアでその技術的な偉業を成し遂げた。この聖堂については、532年のニカの乱で先の聖堂が焼けたのち、ユスティニアヌス1世の命でミレトスのイシドロスとともにハギア・ソフィアの再建にあたった。工事は532年から537年にかけて行われたが、アンテミオスは事業の早い時期に没したともいわれ、558年5月に大円蓋が崩れたときには、すでに世を去っていた可能性が高い。歴史家アガティアスは、アンテミオスがコンスタンティノープルや他の都市で多くの建物を建てたと述べ、詩人パウルス・シレンティアリウスは、数多くの機械を考案したことからその名を称えた。ユスティニアヌスはその技術を土木にも用い、ダラの要塞の堤防の修復も手がけたとされる。
アガティアスは、隣人の修辞家ゼノンとの争いも伝えている。近隣をめぐる裁判に敗れたアンテミオスは、機械を作って仕返しをしたという。客人をもてなしている最中のゼノンの客間で、床板や根太の間に仕込んだ革の管に蒸気を通し、ゼノンに地震が起きたかのように思わせた。凹面鏡で光を反射し、客間の人々の目をくらませた。突然ひどい音を響かせる仕掛けも作り、雷や稲妻を模したともいわれる。蒸気の知識に加え、火薬のような爆発性の物質を知っていたとする疑わしい説まである。ゼノンはついに、ゼウスのように雷を放ち、ポセイドンのように大地を揺らす男にはかなわないと言ったという。
数学者としては、円錐曲線に関する優れた業績がある。糸を二つの焦点に結んで楕円を描く方法や、放物線の焦点の性質の研究があり、後者から太陽光を集める放物面鏡、いわゆる燃える鏡を構想するに至った。論文『燃える鏡について』では、光を一点に反射させる曲面の作り方を論じ、焦点と二重縦線が与えられたとき、焦点と準線を使って放物線上の任意の数の点を求めており、準線を実用に用いた最初の例も含まれる。この仕事はのちにアルハゼンなどアラビアの数学者にも知られた。アスカロンのエウトキオスは、アポロニオスの『円錐曲線論』への注釈をアンテミオスに献じた。アルキメデスがシラクサを包囲したローマ艦隊の帆を鏡で焼いたという話も、アンテミオスの記述に由来するとされる。この話はアルハゼンらを通じてルネサンスに伝わり、研究対象とされることもあれば、デカルトのように退けられることもあった。燃える鏡についての論文の断片は、『驚くべき機械』の題で1777年にルイ・デュピュイによって刊行され、1786年にも再刊されている。
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